国民の自衛官 横顔

(3)「空気読む」ヘリ操縦士養成 陸自航空学校宇都宮校 三上博之1等陸尉(55)

多くのヘリ操縦士を育て、今も年間500時間飛行する三上博之1等陸尉(山沢義徳撮影)
多くのヘリ操縦士を育て、今も年間500時間飛行する三上博之1等陸尉(山沢義徳撮影)

 陸上自衛隊のヘリコプター操縦士は千数百人。その養成を担う教官として、これまでに約370人を送り出した。「彼らが活躍するような事態は、本当は困る」。とはいえ、教え子が災害派遣などで活動する姿がテレビに映ればうれしくなり、気遣いのメールを送る。

 航空自衛隊入間基地に近い埼玉県所沢市出身。飛び交う翼を見上げて空への憧れを育み、昭和59年に入隊、東部方面ヘリ隊でキャリアの第一歩を踏んだ。

 その翌年に起きた日航ジャンボ機墜落事故では、遺体を運ぶ1番機の機上整備員として現場へ。「ただただかわいそうで、確実にご遺族のもとへお返しすることだけ考えた」と振り返る。札幌の第7飛行隊では北海道南西沖地震や有珠山噴火などで出動し、行方不明者の捜索や山林火災の消火などに尽力した。

 1万1300時間を超えて更新中の無事故飛行は、陸自のヘリ操縦士として類を見ない記録だ。「飛ばすことは難しくない。ただ、幅広い情報を把握し、判断するのが難しい」。通算17年近い学生教育の場では、それを「空気を読む」ことだと表現する。

 技量と経験を買われ、一昨年の定年と同時に再任用された。学生とは親子ほどの年齢差だが、任務を離れれば垣根はなく、ともに各地へ旅行することもしばしばだ。「だれと組んでも能力を発揮できるチームワークこそ、操縦士の一番大事な資質」だと、今後も伝え続ける。(山沢義徳)=随時掲載

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