勇者の物語

球団苦節32年 ファンも監督胴上げ 虎番疾風録番外編68

選手とファンに胴上げされる西本監督=昭和42年、西京極球場
選手とファンに胴上げされる西本監督=昭和42年、西京極球場

■勇者の物語(67)

ついに〝その時〟がやってきた。

昭和42年10月1日、東映戦ダブルヘッダー。西京極球場には2万人近い観衆が詰めかけた。

第1試合を足立-石井-米田の継投で10-6と勝利。優勝マジックを「1」とした。第2試合に勝つか、大阪球場での南海-西鉄戦で南海が勝てば、11年の球団創立以来、32年目での初優勝が決まる。

第2試合、阪急の七回の攻撃を迎えようとしていた。一塁側スタンドが静まりかえっている。ファンが持ち込んだラジオから流れる南海-西鉄戦の九回の実況中継に聞き入っていたのだ。

西鉄が負けた-と同時にファンが両手を挙げて躍り上がった。コメットが鳴り紙吹雪が舞う。一塁コーチスボックスで「何事か?」とスタンドを振り返った西本監督が、両手で顔をこする。午後4時52分、ちょっと変わった優勝決定の瞬間だった。

試合どころではなくなった。八回を終わったところで、球審が「日没コールドゲーム!」と宣告するや、一斉にファンがグラウンドへなだれ込んだ。選手たちと一緒に西本監督を胴上げだ。放り上げられたのは監督だけではない。長池、梶本、米田…次から次へと勇者たちが宙を舞った。

「七回の攻撃前、スタンドが沸いたので、あぁ、決まったなと思った。瞬間、やれやれという気持ちになって頬が緩みかけた。だから慌てて両手でこすって押し殺したんや。監督が笑とったらだらしないやろ。でもな、本当はたまらなくうれしかった」

なんと正直な、西本監督らしいコメントだろう。そして勝因をこう語った。

「一番は〝縦の線〟が確立したことや。オーナーから球団社長-監督-選手-さらに球団職員まで、すべての考え方が一本化してスムーズに流れるようになった。そして、秋季キャンプのあとでやった練習で若い連中が伸びたことや。みなが互いに競争し、一生懸命に研究して自信をつけた」

西本監督の打撃理論は単純明快。「力強くバットを振れ!」である。「西本道場」では、とにかく振らせた。打撃マシンのボールがなくなると、自らがボールを拾い集めて補充した。最終日に「正月も練習や」と宣言。そして、元旦、誰よりも早くグラウンドに立っていた。

これが西本野球の原点である。(敬称略)

■勇者の物語(69)

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