【100年の森 明治神宮物語】球音(上)外苑に誕生した「野球の聖地」(1/2ページ) - 産経ニュース

メインコンテンツ

100年の森 明治神宮物語

球音(上)外苑に誕生した「野球の聖地」

【100年の森 明治神宮物語】球音(上)外苑に誕生した「野球の聖地」
【100年の森 明治神宮物語】球音(上)外苑に誕生した「野球の聖地」
その他の写真を見る (1/3枚)

 東京六大学野球や、プロ野球ヤクルトの本拠地として親しまれる神宮球場(東京都新宿区)。8月下旬、取材で訪れた貴賓席で、同球場主任の佐野貴士さん(40)がスコアボード左側のスタンドを指さした。

 「あの向こう側に見えるのが、聖徳(せいとく)記念絵画館です」

 スタンド越しに、国会議事堂に似たシルエットの絵画館の上部が、おぼろげながら見えている。

 「スタンドが増設されたり、看板が増えたりして今は創建当時と比べてはっきりとは見えませんが、この貴賓席から絵画館がしっかり見えることが、当時とても大切だったんです」と佐野さん。

 確かに、昭和4年に撮影された東京六大学野球リーグ戦の入場式の写真を見ると、球場外の絵画館の存在感は際立っている。

 神宮球場の正式名称は「明治神宮野球場」。明治神宮外苑の施設群の一つとして大正15年に竣工(しゅんこう)した。絵画館は外苑の中心施設で、中には明治天皇と昭憲皇太后の事績を描いた壁画がある。創建当初、絵画館は選手や観客の近くにあり、明治という時代もまだ遠い存在ではなかった。

 ◆構想になかった球場

 明治神宮奉賛会の記録などによると、神宮球場の場所には林泉(庭園)が造られるはずだった。

 明治神宮は国費で造営された内苑(参拝施設や森など)と、民間の寄付で造営された外苑(絵画館や神宮球場、明治記念館など)で構成されている。外苑の計画が奉賛会によってまとめられたのは大正6年で、明治神宮競技場(後の国立競技場)は構想にあったが、野球場はなかった。計画が変わったのは、予想を超えた野球人気のためである。

 「熟々(つくづく)体育界ニ於ケル内外ノ趨勢(すうせい)ヲ見ルニ野球ハ青少年ノ憧憬ノ標的トナリ該場ノ設置ハ漸次必要ヲ加ヘ候」。これは14年1月、奉賛会が明治神宮造営局副総裁の若槻礼次郎内務相に、野球場建設のための候補地と経費の調整を依頼した文章だ。