リオの宿題・サクラセブンズ戦士のいま(4)

中嶋亜弥(34)「ラグビーもっと続けたい」五輪後に退社、選手兼コーチに

コーチ、スタッフへと軸足を移した中嶋(奥左から2人目)。ラグビーへの情熱は衰えていない(弘前サクラオーバルズ提供)
コーチ、スタッフへと軸足を移した中嶋(奥左から2人目)。ラグビーへの情熱は衰えていない(弘前サクラオーバルズ提供)

 2016年リオデジャネイロ五輪のラグビー7人制女子の大会2日目に初めて五輪の舞台に足を踏み入れ、13人目の代表となったのが、中嶋(旧姓・竹内)亜弥だ。登録メンバーは12人。当初はその中に名前はなく、バックアップメンバーとしてブラジルに向かった。

 サンパウロ郊外での事前合宿を経て、リオ到着後は選手村に入ったチームとは別行動になったが、日本スポーツ振興センター(JSC)が設置した日本選手団の支援拠点「ハイパフォーマンスサポートセンター」などを活用し、体調を整えたという。

 状況が変わったのは初日の第2戦、英国戦後だった。この試合で冨田真紀子(フジテレビ)が負傷し、翌日以降の出場が不可能になったため、急遽(きゅうきょ)、メンバー入りすることになった。そしてケニアを24-0で破った第2日の9~12位決定予備戦、ブラジルに5-33で敗れた最終日の9、10位決定戦に出場。京大出身者としては48年ぶりの五輪出場となった。

 五輪閉幕に際し「リオのピッチに立てたのはほんの数分でしたが、私にとってこれまでの5年間全てが五輪でした。国民の皆さまから応援していただけ、とても幸せな時間でした。この幸福な経験を自身の中に留めず、今後は日本でスポーツの可能性を広げること、また女子ラグビーという競技をさらに成熟させることに貢献して参ります」とコメントした。

 あれから4年。中嶋は「リオがなければ、ここまでラグビーにのめりこむことはなかった」と、改めてこれまでの歩みを振り返るが、その言葉に誇張は全くない。

 京大ではバレーボール部に所属し、ラグビーを始めたのは大手出版、新潮社に就職後の09年春。その年の秋には、リオ五輪から7人制が五輪種目となることが決まり、協会が本格的に女子ラグビーの強化に乗り出し始めた。

会員限定記事会員サービス詳細