昭和42年シーズン、勇者たちは燃えた。序盤こそ西鉄との首位争いを演じたが、7月の球宴前には5連勝。2位東映に8ゲーム差をつけて折り返した。
チームを引っ張ったのは、2年目で「4番」を任された長池徳二。だが、順風満帆だったわけではない。5月に入って、前年に痛めた腰痛が再発。打率も2割1分台に落ち、5月13日の南海戦では今季初めて「6番」に降格。20、21日の近鉄戦ではスタメンから外された。
「ショックやった。なんとか早く打てるように…と考えたら、夜も寝てられへん。夜中に合宿所の庭に出てバットを振ったよ」
努力は報われた。6月4日の東映戦(西宮)、六回に左翼へ8号ソロホーマーを放った長池は、2-3で迎えた七回一死満塁で、尾崎から左中間ラッキーゾーンへ9号逆転満塁ホームラン。長池にとって生まれて初めての満塁弾。そしてプロ入り初の2打席連続アーチ。
主砲のバットの勢いは止まらない。
◇6月6日 10回戦 西宮球場
南海 000 000 000=0
阪急 304 300 03×=13
【勝】梶本6勝2敗 【敗】杉浦1勝1敗
【本】ウインディ⑥⑦(杉浦)長池⑩⑪(杉浦)早瀬③(村上)
続く南海戦で2年ぶりに先発した杉浦から一回、1死一塁で左翼へ10号2ランを放てば、三回にも杉浦から左翼へ4打席連続のホームラン。過去4打席連続本塁打は青田昇(大洋)、王貞治(巨人)が記録している日本タイ記録。四回の打席はベンチもスタンドも大興奮。だが、外角球をうまく打たされて遊ゴロに終わった。
「打席で野村さんに〝お願いします〟と言ったけど、そう、うまくはいきませんよね」と長池は豪快に笑ってみせた。
その試合でもうひとつ大記録が生まれた。先発した梶本隆夫がスイスイと3安打、無四球で完封勝利。昭和29年3月27日の開幕戦、高橋ユニオンズ戦(西宮)でプロ初勝利を挙げて以来14年、通算200勝を達成したのである。
一塁側スタンドから飛び降りたファンに担ぎ上げられ、何度も宙に舞った梶本は興奮していた。
「みんなのおかげや。次の目標は250勝やけど、もう体がガタガタや。ことしの阪急は若返ってええムードや。もう一回、胴上げしてもらわにゃ」
昭和10年生まれの32歳。梶本には近づく「初優勝」の足音が聞こえていた。(敬称略)