スペンサーは昭和43年に1度、阪急を退団する。46年に呼び戻され、今度は選手兼コーチとして復帰。背番号はずっと「25」をつけた。
実は退団から彼が復帰するまでの2年間、その「25」をつけていたのが花の44年組の一人、43年のドラフトで1位入団した山田久志である。スペンサーの復帰に伴い、背番号が「17」に変更となった。スペンサーが再び退団したあとの48年から「25」を引き継いだのが、彼から「投手のクセを見抜く技」を伝授された〝代打の神様〟の高井保弘だった。
ことし2月に76歳になった長池徳士(あつし)(54年に改名)は、改めてスペンサーのことをこう語った。
「彼に教えられたことは山ほどある。でもね、その中で一番大きかったのはチームプレーの大切さだった。『チームが勝つためにいま、自分がなすべきことは何か。それを常に考えろ』『自分を殺してチームを生かせ』それが彼の口癖だった」
46年シーズンのこと。阪急は開幕から飛ばし、球宴前に2位ロッテに6ゲーム差をつけた。球宴後、まさかの8連敗で一気に差を詰められたものの、打撃力でまさる阪急は徐々に差を広げていった。当時、入団6年目の長池も32試合連続安打を豪快なホームランで達成するなど不動の4番と呼ばれていた。
9月24日の近鉄戦-
◇9月24日 26回戦 西宮球場
近鉄 000 003 100=4
阪急 101 000 201x=5
【勝】石井茂7勝7敗 【敗】佐々木10勝11敗
【本】永淵(13)(宮本)辻(8)(宮本)
4-4の同点で迎えた九回、阪急は阪本の内野安打と加藤秀の死球で無死一、二塁で打者長池-のチャンスを迎えた。長池は打席に入る前、一塁コーチスボックスに立つ西本監督に歩み寄った。
「監督、バントしましょか」
「おお、やってくれるか」
初球を転がした。七回に同点二塁打を放っていただけに、近鉄ベンチも完全に裏をかかれ、走者は悠々と二、三塁に進んだ。そして続く森本が左犠飛を打ち上げてサヨナラ勝ち。優勝マジックを「2」とし2年ぶり4度目のリーグ優勝へ王手を掛けた。
この年、MVPに輝いた長池の成績は打率・317、40本塁打、114打点、犠打は1。「MVPよりこの犠打1が誇らしいよ」と長池は胸を張った。(敬称略)