勇者の物語

S砲の抵抗 四球攻めに立腹 虎番疾風録番外編63

七回、バットを逆さに持って打席に立った阪急のスペンサー。捕手は南海の野村=西京極球場
七回、バットを逆さに持って打席に立った阪急のスペンサー。捕手は南海の野村=西京極球場

■勇者の物語(62)

スペンサーで忘れていけないのが、「逆さバット事件」である。

入団2年目の昭和40年シーズン、三冠王を狙う南海・野村克也と激しく「本塁打王」争いを展開した。10月3日、直接対決のダブルヘッダー(西京極)を迎えた時点でスペンサー37本、野村40本。

当時はまだ、球界全体に「外国人選手にタイトルは取らせない」という風潮があり、〝四球攻め〟が激しさを増していた。直前の東京戦では8打席連続四球。腹を立てたスペンサーが、9打席目でウエストボールにバットを投げつけて内野ゴロにしたほどだった。

阪急は彼を「1番」に入れた。1打席目=敬遠四球。2打席目=左直。3打席目=中前安打。4打席目=敬遠四球。そして七回2死走者なしで回ってきた5打席目も野村が立った。すると、1度打席を外したスペンサーがバットを逆さに持ち、グリップを投手に向けて構えたのだ。それでも敬遠。両軍スタンドから一斉に非難の声が上がった。

「なんでもないときに敬遠するというやり方に腹が立った。わたしの気持ちをファンに見てもらいたかった」

第2試合の試合前、西本監督はスペンサーを呼んだ。

「次の試合に出場するか?」

「1打席目でまた敬遠されたら、交代したい」

すると青田コーチが叱った。

「何を言っている。最後までベストを尽くせ。ホームランが打てなくとも、10打数10安打を狙ったらいいじゃないか。君は大リーガーだったんだぞ」

スペンサーは恥ずかしそうに「そうだった。ベストを尽くす」とつぶやいたという。そして、第2試合の三回、無死一、二塁でスタンカから左翼場外へ38号3ランを放った。

「2本差? ボクは追いつけない。野村には東京戦が残っている。きっと小山がまた打たせてくれるさ。彼は野村を応援しているからね」

東京のエース・小山正明はこの年、野村に8本も打たれていた。

2人の争いは意外な決着をみた。10月5日午後3時過ぎ、西鉄戦(西宮)に出場するため、自宅から最寄り駅の阪急「岡本駅」へバイクで向かっていたスペンサーが、軽四輪トラックにはねられ、左足を骨折したのである。

結局、打率・320、42本塁打、110打点で野村が戦後初の〝三冠王〟に輝いた。(敬称略)

■勇者の物語(64)


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