勇者の物語

極秘ノート 相手投手の弱点など細かく 虎番疾風録番外編62

阪急に“考える野球”を導入したスペンサー
阪急に“考える野球”を導入したスペンサー

■勇者の物語(61)

スペンサーがベンチでいつも見ているノートに何が書いてあるのか-。石川通訳の答えに長池は驚いた。

「相手投手の弱点やクセが細かく書かれているんですよ」

投手のクセってなんだ?

「例えば、東映の尾崎(行雄)なら、振りかぶった手が頭の上で止まったとき、グラブからボールが見えたらカーブ、見えなかったら直球とか」

それって極秘メモじゃないか!

「いや、彼は喜んで教えてくれますよ」。長池は2度驚いた。そしてすぐに〝スペンサー学校〟の門を叩いた。

球種によって変化する手首の筋。ユニホームのしわの変化やグラブの形まで、投手ごとに細かく教えてもらった。

「大リーガーはこんなことまで研究しているんだ-と、目からうろこが落ちたよ。それを隠そうともしない。オレだけじゃなく、チームのみんながスペンサーから新しい野球を学んだ」

勇者たちが彼に付けたニックネームが『野球博士』である。

ダリル・スペンサー 1928年7月13日生まれ。ジャイアンツやカージナルス、レッズなどを経て、昭和39年に阪急に入団した。背番号は「25」。野村克也によれば「南海のブレイザーとともに、日本にメジャー流の〝考える野球〟を伝えた一人」という。

こんな逸話が残っている。来日2年目の40年7月16日、近鉄戦(西京極)でスペンサーは延長十二回に三塁打を放ってサイクル安打を達成した。ところが、担当記者が誰も話を聞きに来ない。

「どうしてボクを取材しようとしないんだ。これは〝サイクル安打〟という大記録なんだよ」と発言し、日本球界に初めてその存在を伝えた-という有名なお話。事実は少々違うようだ。

当時の新聞を見てみると、「阪急サヨナラ勝ち」「米田2000奪三振」「スペンサー大暴れ」の見出しはあるが、サイクル安打の文字はない。記者たちも彼に話を聞いている。談話がこれだ。

「取材はもういいだろう。他のみんなは京都泊まりだが、オレは帰る。急いでいるんだ」。どうやら、サイクル安打の発言は後日の話だったようだ。

とはいえ、スペンサーの発言がきっかけとなり、日本野球機構が歴史を遡(さかのぼ)って調査し、第1号が阪神の藤村富美男であることが判明。以後、達成者を連盟表彰することになった。(敬称略)

■勇者の物語(63)

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