話の肖像画

静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(23)悲運のモンゴル女性貴族

奇琳花氏と夫の雲北峰氏
奇琳花氏と夫の雲北峰氏

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《多くのモンゴル人女性からも文化大革命(文革)での体験談を聞いた。特に印象に残っているのはモンゴル貴族出身の奇琳花(きりんか)氏だという》

奇琳花氏はチンギスハンの直系子孫という、内モンゴル・オルドスのなかでも高位なモンゴル貴族の長女として育ちました。兄は中華民国時代に国民党旗総書記(旗はモンゴルの行政単位)や軍高官を務め、29歳で中国共産党に処刑されるまでモンゴル民族独立のために奔走した伝説の男性です。奇琳花氏も中学卒業後に北京の名門校に入学するなど、才色兼備の女性としてモンゴル人男性の憧れの存在でした。兄妹の青年期、オルドスは中華民国の統治下でありながら共産党ゲリラが跋扈(ばっこ)し、「昼は国民党、夜は共産党の天下」という、国共内戦の非常事態になっていました。

《1949年8月、中国共産党の人民解放軍がオルドスに侵攻した。兄妹の運命は暗転する》

中国共産党はオルドスにいた何万人ものモンゴル人を戦わずに支配するため、奇琳花氏の兄の懐柔に乗り出します。しかし人民解放軍の粗暴さに危機感を抱いた兄妹は、国民党軍とともに台湾への逃避を決意しました。ところが要人の人心戦術はモンゴル人より、中国共産党の方が断然上手です。すぐさま兄妹の母親を拉致監禁した。兄妹はフフホト空港から国際便に搭乗する直前、オルドスに戻らざるを得なくなったのです。こうしてモンゴル人をまんまと支配下にいれた共産党は51年6月、奇琳花氏の兄に「国民党の女スパイと接触した」罪などをかぶせ、公開処刑にしました。奇琳花氏の調べでは、兄は共産党に招待された北京のダンスホールで女性と踊っただけで、女性も中国共産党が送り込んだ人民解放軍の看護婦だったとのことです。奇琳花氏は「兄は舌にようじを刺されたうえ、口にタオルを詰め込まされ、抗議できない状態で処刑場に連行されました」と話していました。