勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(60)

英才教育 主砲誕生へのプロローグ

青田コーチ(左)の打撃指導を受ける阪急の長池
青田コーチ(左)の打撃指導を受ける阪急の長池

■勇者の物語(59)

高知キャンプで長池徳二の英才教育が始まった。「スペンサーのような和製大砲に育てたい」と、西本監督自らがバットを握り、青田ヘッドコーチと二人三脚の熱血指導だ。ある日、突然、長池がキレた。

「もう、いい加減にしてください! 教えるのはどっちか1人にしてください!」

あっけにとられる2人。しばらくすると西本監督がこう言った。

「それもそうやな。わかった。青ちゃん、イケを頼むで」。それ以降、何も言わなくなったという。

「西本さんと青田さんの打撃理論がまったく逆だったんだ。どっちの言うことを聞いたらええんか、頭がこんがらがってきて、つい大声で…」

いやはや、大した1年生である。

青田の打撃理論は「バットのグリップをボールの内側に絞り込むように、体の近いところを通せ」。これがなかなかできない。長池の両手は皮が破れて血が噴き出した。それでも打つ。腫れ上がった。それでも打った。

昭和41年4月9日、東映との開幕戦(後楽園)で長池は「7番・右翼」で先発出場した。だが、3打数ノーヒットの1三振、1四球。次の試合からスタメンを外された。

「1軍の投手のスピードにまったくついて行けなかった。ショックってなもんやないよ」

開幕から6試合目の西鉄戦(西宮)で代打で三振すると翌日から2軍。長池はまた必死にバットを振った。しだいにボールに当たるようになった。2軍戦でホームランも7本飛び出した。6月に1軍から「昇格」の声がかかった。ところが、長池は「まだいいです」と断った。

「自信なかったしな。上がるからにはちゃんと打ちたかったんよ」

やっぱり、とんでもないルーキーである。そして後半戦開幕の南海戦から1軍に昇格した。

◆7月23日 南海戦(西宮)。七回に代打で出場。プロ入り初安打となる左前安打を放つと、九回には中堅へ二塁打。

◆24日 南海とのダブルヘダー。第1試合に「6番・中堅」で先発出場。4打数2安打1三振。

◆同日 第2試合。三回に右翼線へ三塁打。五回には高橋栄一郎から左中間へプロ1号の2点本塁打を放った。

「あのホームランでちょっとはプロでやっていけるかも…と思ったよ」

主砲誕生へのプロローグである。(敬称略)

■勇者の物語(61)