勇者の物語

ドラフト導入 選手の「運命」変えた 虎番疾風録番外編58

昭和40年11月17日に開催された第1回ドラフト会議=東京・有楽町の日生会館
昭和40年11月17日に開催された第1回ドラフト会議=東京・有楽町の日生会館

■勇者の物語(57)

「正月から練習や!」-西本監督の大号令で昭和42年の元旦、勇者たちは西宮球場に集まった。その中に入団2年目を迎えた長池徳二もいた。もちろん〝信任投票〟では「〇」と書いていた。

「というより、なんも分からず〝へぇ、プロは毎年こうして、選手が監督を決めるんかぁ〟と感心しとった。まさか、あんな騒動になるとはね」

長池は40年に行われた『第1回ドラフト会議』で、阪急から1位指名されて入団した勇者の〝第1号ドライチ〟である。では、ここでドラフト会議が生まれた経緯を簡単に説明しよう。

2リーグ分裂から十数年、プロ野球界はあの〝引き抜き合戦〟のつけを払わされていた。高騰する選手の年俸。あわせて新入団選手の契約金も急激に上昇していた。有望な選手は資金の豊富な球団に集まり、格差は広がるばかり。

そこで39年7月、パ・リーグのオーナーたちは「スカウト制度」を廃止して、プロ入りを志望する選手を一括抽選で振り分ける「新人プール方式」を提案した。当時、西鉄ライオンズの社長だった西亦次郎の発案といわれている。

パの呼びかけにセ・リーグも呼応。約1年半の協議、検討を重ね、40年1月に「ドラフト制度」の導入を決定。同年11月17日、東京・有楽町の日生会館7階会議室で『第1回ドラフト会議』が開催されたのである。

事前に各球団がコミッショナーへ順位をつけた獲得希望選手の名簿を提出。名簿1位選手のみ、重複した場合は抽選となり、外れた球団は名簿2位の選手の指名権が与えられた。あとはウエーバー方式。こうして各球団の1位指名は次のように決まった。

巨 人 堀内 恒夫 投 甲府商

中 日 豊永 隆盛 投 八代第一

阪 神 石床 幹雄 投 土庄高

大 洋 岡  正光 投 保原高

広 島 佐野真樹夫 内 専修大

サンケイ河本 和昭 投 広陵高

南 海 牧 憲二郎 投 高鍋高

東 映 森安 敏明 投 関西高

西 鉄 浜村 孝  内 高知商

阪 急 長池 徳二 外 法大

東 京 大塚弥寿男 捕 早大

近 鉄 田端謙二郎 投 電電九州

ドラフト制度の導入は多くの選手の〝運命〟を変えた。長池もまたその一人だった。(敬称略)

■勇者の物語(59)

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