文芸時評

9月号 日本には公共空間がない 早稲田大学教授・石原千秋

大阪駅前を行きかう人の多くが新型コロナウイルス感染の予防のため、マスクを着用していた=19日、大阪市北区(渡辺恭晃撮影)
大阪駅前を行きかう人の多くが新型コロナウイルス感染の予防のため、マスクを着用していた=19日、大阪市北区(渡辺恭晃撮影)

高等学校に公共という科目が新しく設置されるが、何をもって公共とするのだろうか。文部科学省の説明を読むと、公共と空間という2つの単語がセットになってキーワードになっている。当然といえば当然だが公共空間とは現実の空間のことであり、情報空間であり、心の中の空間でもある。

今度のコロナ禍を経験しつつある一人の日本人として感じるのは、日本には公共空間がないということだ。その象徴が個人情報の問題だと感じた。コロナを押さえ込むのに個人情報を活用している国は少なくない。独裁的な国家がそうするのはわかる気がするというか、それくらいしかないのだろうなと思う。しかし、民主主義国家でも個人情報の管理が行われているのは、すっと納得ができないところがある。

管理社会に対する警告は外国でも日本でもコロナ以前から発せられていたが、現実に行われていることは想像をはるかに超えている。日本人の社会学者から聞いたのだが、北欧のある国では国民に関するビッグデータが国家に一元管理され、外国人であっても申請し、研究目的を審査して許可されれば、すべてのビッグデータを見ることができるという。ショッピングはもちろん、医療データまで全部だ。調査の最中、こんな大変なデータを見ていいのだろうかという感覚がずっと頭を離れなかったという。これこそが公共空間ではないだろうか。

日本にこうした公共空間が成立しにくい理由の一つが、戦前の管理社会の記憶にあることはまちがいない。あの時代の記憶は容易に消すことはできない。もう一つの理由は、日本では政権交代がほぼ行われてこなかったからではないだろうか。個人情報を国家に提供するのは形だけで、実質は一つの政党に提供することになる。たとえば二大政党間で政権交代が行われれば、チェック機能が働きやすい。公共空間とは政治体制の問題なのだ。この体制を支えているのは日本国民なのだから、日本国民は公共空間を必要としていないのではないだろうか。

会員限定記事会員サービス詳細