話の肖像画

楊海英(17)「モンゴル民族」日本で研究

モンゴル仏教僧の仮面踊り。別府市内にあった高橋蒙古美術館には関連するコレクションがあった
モンゴル仏教僧の仮面踊り。別府市内にあった高橋蒙古美術館には関連するコレクションがあった

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《日本留学後、文化人類学者としての道を歩みだした。きっかけは1989年6月の「天安門事件」につながる民主化運動での論争にあった》

私は「天安門事件」の約2カ月前に来日しました。それまでは北京第二外国語学院の助手として北京にいたのですが、事件の約2年前から民主化運動で大学生や若い知識人らと議論する機会を重ねていました。こうした議論のなかで、政府のシンクタンクである中国社会科学院の学者たちと言葉を交わす機会があったのです。

中国社会科学院には当時、民族研究所、少数民族文学研究所があり、そこにはモンゴルやチベット、ウイグル、満州族ら少数民族の知識人が勤めていました。そのなかにいた30年代の満蒙時代の生き残りというベテラン研究者が「日本は満州国時代に統治だけでなく、詳細な学術調査も行っていた。日本のモンゴル研究は秀逸で、モンゴル人について研究するなら日本がいい」と教えてくれた。そのころから日本でモンゴル民族の研究をしてみたいという思いを抱くようになったのです。

《北京の大学助手時代に読んだ2冊の日本の本も、文化人類学者を目指す決め手となった》

江上波夫さんの『騎馬民族国家』は強烈な印象でしたね。ユーラシアの騎馬民族が朝鮮半島を経て日本に渡り、大和朝廷成立に参与したという「騎馬民族征服王朝説」は中国の知識人の間でも評判になり、当時の北京大学でも紹介されていました。もう1冊は国立民族学博物館の初代館長、梅棹忠夫さんの『文明の生態史観』です。こちらは西洋と東洋という従来の区分でなく、発達に応じて文明を分類して生態学の視点を交えて論を進めるという、これまでにない文明論が知識人の興味を引いていました。

江上さんも梅棹さんも詳細な調査を行っており、その調査結果を踏まえたうえで、中国では絶対に出てこないユニークな学説を生み出している。衝撃でしたね。こうした本を読み、「モンゴル人とは一体、どんな民族なのか」と深く調査研究したくなりました。そのころは中国から日本への留学生はほとんどが理系で、日本の先端技術を勉強して持って帰るのが目的でした。文系は主に日本文学専攻で、文化人類学はめずらしかったのですが、2人の斬新な見方に刺激を受けて文化人類学をやってみたいと思うようになったのです。

《日本におけるモンゴル関連資料の多彩さに驚くことも》

別府大学にアジア歴史文化研究所があり、そこにおられた東洋史の林章教授がモンゴル研究で名高く、図書館に寄贈された満蒙関係の蔵書を読ませてもらいました。あるとき、別府市内に「モンゴル関係の骨董(こっとう)を集めた美術館があった」との情報が入ってきました。私は新聞配達をしていたので、配達仲間から、高橋蒙古美術館という名前の個人の展覧場所があったことを割り出しました。訪ねていくと、主人はもう亡くなられていましたが、高齢の奥さまがおられて、戦前に満州国で骨董屋を経営し、戦後も別府市内で蒙古関係の骨董を取り扱っていたとのこと。今は品物はないからとパンフレットをもらいましたが、「市民の方の中にもモンゴル関連のこんなに立派な資料があるとは」と感じ入りましたね。(聞き手 大野正利)

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