勇者の物語

解任の伏線「一流」好き 毎日色排除も図る 虎番疾風録番外編53

毎日、大映両球団の合併を発表する安部元喜・毎日球団社長(右)と永田雅一・大映社長=昭和32年11月28日
毎日、大映両球団の合併を発表する安部元喜・毎日球団社長(右)と永田雅一・大映社長=昭和32年11月28日

■勇者の物語(52)

昭和34年オフ、大毎オリオンズの別当薫監督が辞任。後継者問題が起こった。

毎日側はコーチを務めていた西本幸雄の「昇格」を提案した。西本は選手間で人望があった。しかも毎日生え抜きの人間。だが、この案に永田雅一オーナーが反対した。

なんでも〝一流〟が好みの永田は当時、辞意を漏らしていた巨人の水原茂監督の招聘(しょうへい)を狙っていた。「スタープレーヤーだった監督の名声で球団の人気を高めよう」とする永田にとって、西本の名前は弱く、「躍進、大毎の大監督向きではない」と断じたのだ。

ことは思い通りには進まない。その水原が留任。永田は南海の鶴岡一人監督に相談を持ち掛けた。すると-

「これからの監督はネームバリューではないですよ。外を探さなくても、内にいい指導者がいるじゃないですか」と西本を推薦。こうして大毎・西本監督が誕生した。

永田にとってもう一つ気に入らなかったのは、西本が毎日側の推す人間だった-ということ。

人気のなかった高橋ユニオンズを大映スターズが吸収合併してできた「大映ユニオンズ」は、30年代に入り経営難に陥った。そこで32年11月28日、毎日オリオンズと合併。「毎日大映球団」(チーム名は大毎オリオンズ)が誕生した。毎日にしてみれば、救ってやったはずの大映が経営の主導権を握り、オーナーにも永田が。面白い状況ではなかった。さらに、なんでも派手好きの永田のやり方に、次第に毎日側の球団経営への意欲も薄れていった。

永田も毎日色の排除を図った。そんな中で、あの日本シリーズでの〝事件〟は起こった。西本監督の解任を機に毎日新聞は、球団から役員全員を引き揚げ、40年には球団株を売却。プロ球団経営から手を引いていったのである。

余談だが、球界では、パとセで人気の差が広がったのは、毎日の撤退が大きく影響している-といわれている。読売系のラジオ局やテレビ局が、巨人戦をどんどん中継したことで、巨人を中心としたセ・リーグの人気は高まった。25年に正力松太郎が「もう一方のリーグの盟主に」と毎日を引き入れたのも、毎日の持つ放送メディアに期待したから。

西本監督の解任劇-実は、球界を揺るがす〝大事件〟だったのである。(敬称略)

■勇者の物語(54)

会員限定記事会員サービス詳細