話の肖像画

静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(15)天安門事件前夜の北京

民主化運動で天安門広場に集まった学生たち=1989年5月
民主化運動で天安門広場に集まった学生たち=1989年5月

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《北京第二外国語学院の助手をしながら日本留学を模索していた1987年、首都北京には大学を中心にこれまでにない雰囲気が漂い始めていた。2年後の89年6月に武力弾圧された「天安門事件」へと続く、「民主化運動」の始まりだった》

この年、明らかに北京の空気が変わっていました。大学生や大学関係者ら若い知識人たちの間で「革命的人道主義論争」が沸き起こっていたんです。共産主義では「真理はひとつ」としており、これはカール・マルクスの考え方の大前提です。ところが革命的人道主義論争では「真理は本当にひとつなのか」「ひとつであるならその基準とは何か」といった懐疑的な意見を、大学生や若い研究者らが戦わせていました。中国を支配する共産主義の根源について声高に論じることは、これまでにないことで、私も議論に参加するようになりました。

私はそのころ、大学の学生寮を出て北京市内の単身者寮で暮らしていたのですが、同じ寮に英語学部の助手になった同級生がいて、そいつは米国の雑誌に中国の民主化について英語の論文を寄稿したりしていました。英語の雑誌には中国のこうした変化をリポートした記事や国内外の論文が載っている。文化大革命(文革)の時代と違ってそうした外国からの情報も読むことができ、そこから中国を縛っている保守的な弊害について学んだりしていました。

《国内では改革派の胡耀邦総書記が解任されたものの、趙紫陽総書記は民主化運動に理解を示していた。国際的にも89年の「ベルリンの壁の崩壊」や91年のソ連崩壊につながる民主化の流れがあった》

個人的には、こうした若者たちの論争は一部の反共産主義の知識人が作り出したもので、その急進的な知識人たちは「共産党には正当性があるのか」「果たして社会主義だけが正しいのか」という政治的なところまで持っていきたかったのだ、と思っていました。予想通り、次第に「中国共産党は腐敗している」という声が若者から上がり始めました。