話の肖像画

楊海英(12)「差別」「戸籍」の理不尽さ

《政府の改革開放路線もあり、大学への少数民族の門戸はその後、次第に広がっていった》

3年生のときに主に中国西北部に住むイスラム教徒の回族の子が入学し、その後も満州族の子が入ってきました。さらに87年にはチベットで「旅游(りょゆう)教育訓練十年計画」が始まり、観光開発に重点が置かれたこともあって、その年から英語学部にはチベット人学生が何人かいましたね。

改革開放が進み、外国人も中国を訪れるようになり、私も2年生のころから通訳の仕事をするようになりました。北京を訪れる日本人を案内するのですが、なぜか諸先輩や同級生を差し置いて、私がたびたび大学から指名される。「日本語が一番うまいから」ということでした。入学当初は北京や上海などの大都会の進学校を出て大学に入ってきた高級幹部の子弟たちを「どれだけ高度な教育を受けてきたんだろう」「何でも知っているのではないか」と構えてみていたのですが、だんだんと彼らの実力が分かり始めました。(聞き手 大野正利)

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