《故郷・中国内モンゴル自治区オルドスで2歳のときに始まった文化大革命(文革)。家族が搾取(さくしゅ)階級とされて全財産を没収され、自身も農耕生活を強いられるなど苦難を味わった。中国共産党下の生活が当たり前の中、1980年に入学した高校で出会った1本のカセットテープが世界観を一変させる》
高校に入学し、漢人の同級生と友達になったんです。彼の父親は教師で、文革で打倒されて農村移住運動「下放」により、沿岸部の浙江省からオルドスに移り住んだ知識人でした。その親子が夏休みで浙江省の実家に帰省した際、同じく帰省していた香港華僑の親戚と再会したというんです。香港については、中華人民共和国が成立する際に反共産主義者の知識人や資本家、軍人らが逃げ込んだ「悪の拠点」と学んでいました。縁のない遠い世界と思っていただけに、知り合いの知り合いがいることで「香港とはこんなに身近なんだ」と感じましたね。
その友人から夏休み明けに、寮で誘いを受けました。「香港の親戚からもらったんだ。すごいぜ、聴いてみろよ」と、1本のカセットテープを再生してくれたんです。流れてきたのはテレサ・テンで、まあこれが聴いたこともない、美しくて優しい歌声。何度も聴いたはずの友人もうっとりしていました。あの歌声に文革を経験した少年たちの心が奪われていくわけですよ。違った世界に目覚めた瞬間でしたね。
《このテープに好奇心を刺激され、国外への関心を高めていくことになる》
当時も国外メディアは敵対放送で聞いてはいけないとされていました。しかし厳しい文革も終わったこともあり、「外国語の勉強」と称して友人とラジオの周波数を合わせ、台湾や香港のラジオ放送を聴きました。内モンゴルでもこうした外国のラジオ放送が入るんです。寮だったので見つからぬよう、布団をかぶって聴くのですが、女性アナウンサーの柔らかい声とテレサ・テンやほかの歌手たちの美しい歌には打たれましたね。
当時の中国国内のラジオ放送は女性アナウンサーでも戦っているような口調でした。台湾や香港の中国語はイントネーションが柔らかい上、人をののしるような乱暴な言葉がほとんどない。中国語には人を罵倒する攻撃的な言葉が無数にあり、国内ラジオ放送でもそんなピリピリした雰囲気が漂っていましたが、台湾、香港の放送では全く感じられません。初めて聴いたとき、思わず友人と「これは本当に中国語なのか」と、顔を見合わせましたね。
《中国共産党に対する疑念はますます深まった》
当時、国内ラジオで流れる歌も私たちが歌っていたのも革命歌で、「米国を打倒せよ」「世界に革命を」といった内容ばかり。それが香港、台湾では「愛」とか「彼氏」とか「タクシーに飛び乗り」とか。当時のオルドスにはなかったので、「タクシーとは一体何なんだ?」と調べたりしました。こうした歌を聴くごとにブルジョアジーや資本主義など、政府が「極悪な敵」と宣伝しているのとはおそらく全く違う現実があり、さらに学校で習う歴史で内モンゴルは反革命の地と批判されたことも事実とは全く異なる、と確信するようになりました。(聞き手 大野正利)