勇者の物語

正義の味方 規則に反対 虎番疾風録番外編50

昭和60年、吉田監督(右)の下で投手コーチを務めた米田
昭和60年、吉田監督(右)の下で投手コーチを務めた米田

■勇者の物語(49)

もう少しだけ米田哲也のことを書かせていただこう。

筆者が親交を持ったのは昭和60年の虎番時代。吉田義男体制の1軍投手コーチを務めたときだ。当時、吉田内閣は〝おしゃべり内閣〟といわれた。ヘッドの土井淳、打撃・並木輝男、投手・米田、守備走塁・一枝修平-と、ほとんどがテレビやラジオの解説者出身でおしゃべりは大得意だったからだ。

2月、高知・安芸キャンプが始まった。新生・吉田内閣は張り切っていた。選手宿舎をこれまでの安芸市内から香南市の人里離れた海岸に建つ「手結山観光ホテル」へ変更。そして3つのキャンプ規則を発表した。

(1)休日前の外泊は原則認めない(門限は午前0時)

(2)宿舎での飲酒は食事中のみで、部屋での飲酒は厳禁

(3)休日のゴルフは禁止

高知市内に出るのも安芸市内に行くのもタクシーで30分はかかる。しかもあれはダメ、これもダメ-。土井コーチによれば「休日は体を休ませ、明日への力を補充させるために費やすべきである」という。そして取材を進めていくうちに、衝撃的な事実が判明した。

この規則を決めるコーチ会議で「コーチは個人的に選手を食事に誘わない方がよい」という意見が出されたのだ。理由は「ほかの選手がねたむから」という。

なんという情けない話だろう。コーチと選手の関係はグラウンドだけではない。彼らの悩みや、意見を食事をしながら聞いてやるのも首脳陣の大事な仕事。それを「ねたむからやめよう」とは、なんと了見の狭いことか!

ところが、選手の間から少しも怒りや憤りの声が聞こえてこない。実はこの会議の席で米田コーチだけが〝反対〟を唱えていた。

「外泊してもええやないですか。それにボクは選手を連れて食事に行きますよ。お酒を飲んでも、それで翌日の練習に〝よし、やるぞ〟って気が起こればいい。厳しくするのはそれができなかったときで十分。そのときこそ、厳しくプロの心構えをたたき込んでやればええんとちゃいますか」

結局、米田コーチの意見は通らなかった。けれど首脳陣の中で一人でも異論を唱えたコーチがいたことで、選手たちの不満は爆発せずに収まったのである。

いよっ、正義の味方<ヨネさん、格好ええやん>筆者はすっかり、米田のファンになったのである。(敬称略)

■勇者の物語(51)

会員限定記事会員サービス詳細