話の肖像画

楊海英(9)文革を生き延びた先生と

1980年、母方の祖父、オトゴンさんと
1980年、母方の祖父、オトゴンさんと

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《文化大革命(文革)でなくなっていた受験が文革の終結で復活し、成績優秀だった自身は1980年、内モンゴル自治区オルドスで屈指の進学高校に入学する。学校にはさまざまな経歴をもつ教師たちがいた》

中学校に入学した年まで文革が続いていたので、外国語教育はありませんでした。高校でようやく始まったのですが、かなりレベルの高い授業でした。文革では知識人は地主などの搾取階級とともに打倒すべき階層とされ、農村移住運動「下放」によってオルドスにも多くの知識人が移り住んでいた。私の通った高校では下放された大学教授が多数、教鞭(きょうべん)をとっており、外国語ができる先生も多かったため、授業も英語、ロシア語、日本語、スペイン語と4科目もあったのです。「漢字があるし、楽なのでは」ということで日本語を選択したのですが、平仮名や片仮名もあって見事に裏切られました。

日本語の先生は2人いて、芯の強い、とてもいい人たちでしたね。一人は1930年代から日本の影響下で内モンゴルに出現した蒙疆(もうきょう)政権の軍人出身で、すぐ殴るし、厳しいし、いかにも軍人。もう一人は中国東北部出身の漢人で、戦前に仙台に留学した経験があり、真夏でもボタンをしめてピシッとしている。いつもきまじめで、学生みんなで「日本人みたいだ」と噂していました。

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