ビブリオエッセー

純愛と命のきらめき 「風立ちぬ」堀辰雄

死を見つめることは生を感じることだ。余命わずかな病身の婚約者、節子に付き添い、八ヶ岳の山麓を一望できる富士見高原のサナトリウムで送った短い日々を描く『風立ちぬ』。迫り来る死の影を感じながら寄り添って生きる二人に、生の歓喜が満ちあふれていた。

10代、20代のころ読んだ堀辰雄を読み返している。このコロナ禍が命について考えるきっかけになったのだろう。『風立ちぬ』は「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の五章からなり、二人に残された最後の時間が、豊かな自然の詩的な描写や病室での二人の会話でつづられていく。風景は「私」の心象風景でもあるのだろう。

思えば堀も胸を患い、何度も死の淵に立たされながら、48年の生涯を生きた作家だった。18歳のとき関東大震災で母を失い、22歳で師と仰いだ芥川龍之介の自殺に大きなショックを受け、そして30歳で婚約者の矢野綾子を亡くした。『風立ちぬ』はこの体験をもとに「すこし風変わりな愛の生活」を描いた物語だ。愛する人たちの死と自身に忍び寄る死の影をつぶさに見つめた堀の小説には、壊れそうに繊細な美しさと命のきらめきを感じる。

いまを生きている。大切な人がいてくれる。その幸せをかみしめて残された日々を歩む二人の姿。『風立ちぬ』を読み返して自分が当たり前のように思っている幸せの大切さとはかなさにふと気づかされた。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」。小説の題名にもなった、ヴァレリーの詩から引用した一節が、いまも私たちに「生きていることの奇跡」を思い起こさせてくれる。

さいたま市浦和区 みゆ 38

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