戦後75年 栗林中将の孫・新藤義孝氏 遺骨収集「最後のお一人まで」が国の責務 

自民党・新藤義孝氏(春名中撮影)
自民党・新藤義孝氏(春名中撮影)

 厚生労働省の外部有識者による専門技術チームが3月、ロシア・シベリア地域で遺骨収集した埋葬地9カ所のうち、7カ所について「日本人を埋葬の主体としていなかった」と結論付ける報告書をまとめた。専門家は10年以上前から遺骨が日本人のものではない可能性を指摘していたが、厚労省は公表を控えていた。硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道中将も遺骨が帰還していない一人。戦没者の遺骨収集に精力的に取り組む孫の自民党・新藤義孝元総務相に見解を聞いた。

 --DNA型鑑定の結果、遺骨のほとんどについて日本人の可能性は低いと指摘された

 「日本人の遺骨ではない可能性が指摘されていたにもかかわらず、適切な対応を取れなかったことは誠に残念だ。遺骨収集事業の信頼性が問われてしまったことを厚労省は大いに反省してもらいたい。一方で、問題の発覚以降、厚労省が収集体制の抜本的見直しを行ったとも承知している。事業の改善を図り、遺骨収集に拍車がかかることを期待したい」

 --遺骨収集は苦難の連続だった

 「先の大戦が終わった直後の日本は主権を失い、遺骨収集すら許されない状況に置かれた。国による最初の遺骨収集事業が実施できたのは占領が解かれた昭和27年から32年にかけてであり、収容数も制限された結果、わずか1万2千柱だった。また、当時の復員省から厚労省に至るまで、省庁の設置法に遺骨収集は業務規定されていなかった。安倍晋三政権下の平成28年、議員立法で成立させた戦没者遺骨収集推進法により『遺骨収集は国の責務』と規定したことでようやく法的整備がなされたのが実態だ」

 --なぜ当初、遺骨収集が進まなかったのか

 「戦争の相手国が遺骨収集を認めなかったという事情や、戦争の記憶を思い起こしたくない日本国民の意識が影響したのではないか。遺骨収集に理解が深まるようになったのは、昭和47年に残留日本兵の横井庄一さんがグアムで発見されて、関心が高まったからだとも聞いている」

 --海外にはいまだ多くの遺骨が残されている

 「海外での戦没者のうち、遺骨収集が可能なのは(水没などを除く)59万柱といわれている。終戦から75年が過ぎても、英霊は一刻も早くふるさとに帰りたいと願い続けていることだろう。遺族たちもそれを待ちわびている」

 「国のために命をささげられた方々だ。最後のお一人まで祖国にお帰りいただくことは国家の責務だ。また、二度と悲しい戦争が起きないよう、平和の誓いを持ち続けることが英霊の皆さまへの報いだ」(内藤慎二)

会員限定記事会員サービス詳細