2人の医師がALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性に対する嘱託殺人容疑で逮捕された京都市の事件。同市内で在宅支援診療所を開設し、本紙地方版(産経新聞大阪本社発行)でコラム「在宅善哉」を連載している尾崎容子医師に、重病や難病の患者をみとる医師としての思いを聞いた。(編集委員 北村理)
今回の安易な自殺幇助(ほうじょ)について、私は明らかに反対です。しかし、自由に体が動かせなくなった自分は「惨めだ」などと、難病を患い生きる苦しさを表現する患者に対して、「がんばれ」ということは残酷だとも考えます。どうすれば、安易な自殺幇助以外に患者の苦しむ気持ちを和らげることができたのだろうかと、考え続けています。
難病を患い生きる人たち。その苦痛を想像してみますが、われわれの想像をはるかに超えるすさまじいものなのだろうと思います。
顔のかゆみ一つとっても他人の手を煩わせることになります。その孤独感はすさまじいものだろうと想像します。支援者がいても、ひとりで過ごす夜には孤独感が波のように押し寄せるでしょう。周囲の支援に感謝してはいても、心の隙間は埋めきれないものでしょう。胃瘻(いろう)で栄養を補給され、そして浣腸(かんちょう)などを使って排泄(はいせつ)させられる生活…。
「食べ物を注入されて、寝て、出して、それだけ。こんな人生に意味はない」。仮にそう口にされたとしても、返す言葉が見つかりません。私は苦しむ人に向き合うということを、職責としているつもりですが、なかなかできていないと思うのが現実です。逃げないで患者さんの苦しみと向き合うことは本当に難しいと日々感じています。
私が診ていた患者さんで、どんどん筋力がなくなる病気の若年者の方がおられました。その患者さんと「食べて寝て出すだけ」の人生について語り合ったことがあります。