話の肖像画

楊海英(5)狙われた内モンゴル

《そのウラーンフーが前門飯店会議で粛清された》

それまでの功績はすべて無視され、「少数民族の搾取階級を擁護する発言を繰り返した」「草原開墾に反対した」「交通事故にあったモンゴル人民共和国の指導者を無断で見舞い、修正主義者にへつらった」などの罪状で、国家を分裂させる危険な「民族分裂主義者」としてつるし上げられました。軍事的に重要な内モンゴルの権力を、モンゴル人から取り上げるのが、会議の目的だったのです。

《自治区政府のシンボルの粛清は、内モンゴルでの文革を加速させた。ウラーンフーを支える基盤組織が必ずある、との理屈だ。ウラーンフーは自分が解体した内モンゴル人民革命党のボスとこじつけられ、同党の残党狩りが始まった》

母が所属していた人民公社で批判闘争を先導していたのは郵便局員ら2人の漢人(かんじん)です。2人はある晩、人民公社のトップであるモンゴル人男性を深い井戸の縁にひざまずかせ、「内モンゴル人民革命党員だったことを認めろ」と迫った。認めなければ井戸に落として「自殺」とし、認めれば翌朝に批判集会を開いて糾弾するつもりだったのでしょう。2人は人民公社トップがモンゴル人であることに不満があった。

ほかの人民公社で起こった虐殺の噂も聞きました。後年、自治区政府機関紙などで調べたのですが、この公社の2961人のうち926人が内モンゴル人民革命党員とされ、殺害か暴力の後遺症によって64人が死亡、270人が重度の後遺症に苦しんだ。機関紙にはあるモンゴル人女性は真っ赤に燃える柳の枝で下腹部を焼かれ、性別不明な遺体となった、との報告が掲載されていました。(聞き手 大野正利)

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