勇者の物語

10年目の反乱「話にならん。評価の問題だ」 虎番疾風録番外編46

「ガソリンタンク」と異名をとった阪急・米田
「ガソリンタンク」と異名をとった阪急・米田

■勇者の物語(45)

昭和41年1月12日、1本のスクープが球界を騒然とさせた。

『米田、巨人にトレード』『あす、正力-岡野会談で決定へ』

読売系のスポーツ紙が報じたことで、記事の信憑性(しんぴょうせい)は高かった。各社は一斉に裏取りに走った。判明したのは-

(1)巨人がトレードを阪急に申し入れたのは1月7日のこと。

(2)巨人の坂本広報部長が来阪し阪急の宮田取締役へ打診。阪急は回答を保留。

(3)球団と契約更改交渉でもめていた米田が「阪急に嫌気がさした。ほかの球団に出たい」と発言していた-の3点だ。

米田が契約更改でもめたのは「10年選手ボーナス」の額だった。当時、プロ野球界には、入団から10シーズン以上、現役選手としてプレーした選手に、ボーナス(再契約金)もしくは他球団への移籍権利を与える-という「10年選手制度」があった。

1年目こそ9勝に終わったものの、2年目に21勝、以後9年連続で二けた勝利。10年で184勝(179敗)をマークした米田はボーナスとして1500万円を求めた。だが、球団の提示額は1千万円どころか、半分にも満たない額。

「お話にならん。誠意の問題ではなく評価の問題だ」と主張する米田に、球団も「ほかの球団と比較して不満を持っているようだが、ウチの経営状態も考えてもらいたい」と手を焼いていた。両者の言い分は平行線のまま年を越した。

そこへこのトレード話である。現実味はあった。新聞を見て球団事務所に飛び込んできた西本監督も血相を変え「新聞記事は本当なのか? もし本当ならオレは監督をやめる」と宮田取締役に詰め寄ったほど。

球団側は「米田放出」を否定した。

「巨人の正力(亨)オーナーが会いたいというので、あす13日に会う。聞くところによれば、巨人は高橋明を見返りに米田を欲しいようだが、高橋どころか城之内をくれるといっても米田は絶対に出さない。正力さんに会っても、米田の話は問題外だ」。上京していた岡野祐球団社長はきっぱりと断言した。

米田の気持ちは揺れ動いていた。

「ボクとしてはボーナス交渉で希望額を出してくれないのなら、トレードに出してほしい。ただ、阪急には愛着が…」

すべては13日の「正力-岡野会談」にかかっていた。(敬称略)

■勇者の物語(47)

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