湖国の鉄道さんぽ

攻撃目標は米原駅 避難壕で機関車を守れ、未完成の戦争遺跡

【湖国の鉄道さんぽ】攻撃目標は米原駅 避難壕で機関車を守れ、未完成の戦争遺跡
【湖国の鉄道さんぽ】攻撃目標は米原駅 避難壕で機関車を守れ、未完成の戦争遺跡
その他の写真を見る (1/4枚)

 東海道線、北陸線が接続し、鉄道の要衝として知られる米原駅(滋賀県米原市)。兵士や物資輸送の拠点となった戦時中は特に、その性格は顕著だった。そのため、戦争末期には米軍の攻撃目標になり、列車を動かす蒸気機関車を守る必要に迫られた。極秘の計画が駅から北へ約1・5キロ離れた岩脇(いおぎ)山で始まった。機関車を退避させる防空壕といえる「避難壕」の工事だった。

 岩脇山に張り付くように建てられた岩屋善光堂を目印に、米原駅から30分ほど歩いて山の南側に着くと、2つの洞穴を見つけることができる。これが「蒸気機関車避難壕」だ。

 米原市教委歴史文化財保護課によると、向かって右にある東側避難壕は長さ110メートルで反対側に貫通している。西側避難壕は南北から掘り進められ、南からは53メートル、北からは13メートルでストップ。幅の広いところで3~4メートル、高さは4~5メートルあるが、機関車はとても入らないサイズ。未完成のまま終戦となったのだ。

 山の南側の入り口は立ち入り禁止の柵があるが、北側は少しだけ中に入れる。ひんやりとした空気、通ることを拒むように水没した地面。手作業のツルハシやシャベルでついたと思われる跡。ここだけ時間が止まっているようだった。

 岩脇山に避難壕が造られたのは岩盤が固かったのが理由のようだ。ただ、軍事機密だったため、周辺住民にも詳細は伝えられず、資料も残っていない。同課の小野航さんは「昭和20年に入ったころから工事が始まったのでは」と説明する。突貫工事が行われたとみられ、終戦を迎えなければ、同年内には稼働を始めていたのではという推測もある。