勇者の物語

二重契約騒動 「米田を阪神に」後援者動く 虎番疾風録番外編44

タイガースのユニホームを着て練習に参加した米田=甲子園球場
タイガースのユニホームを着て練習に参加した米田=甲子園球場

■勇者の物語(43)

梶本話の次は当然、米田哲也のお話。「ヨネカジ」コンビで昭和30~40年代の阪急を支えた大投手である。

米田は野球人生の中で3度、阪神のユニホームを着ている。プロ入り20年目の昭和50年、シーズン途中で阪神に移籍したとき。60年に吉田義男監督に招かれ、1軍投手コーチに就任したとき。そして31年、阪急に入団する前にたった2日だけ、タイガースのユニホームに袖を通したのである。

28年秋、阪急の丸尾千年次(ちとじ)スカウトは鳥取県米子市の人から「境高の1年生にいい投手がいるよ」と教えられた。それが米田哲也。スケールの大きな投球フォーム、伸びのある速球、すでにシュートやカーブも投げていた。一目ぼれした丸尾は3年生の夏の大会が終わるのを待って入団交渉。本人、家族同席のうえで契約し、パ連盟へ登録した。

ところが、これに驚いたのが米田の後援者たち。当時、後援者にはタイガースファンの人たちが多く「哲也を阪神に!」と動き出した。そして本人や家族を説得し阪神と契約を結ばせた。

12月22日にセ連盟へ登録した阪神に対し、阪急は27日に「ウチが先に契約を交わしている」とコミッショナー事務局へ提訴。〝二重契約騒動〟が始まったのである。

翌31年1月9日、米田が阪神の合同自主トレ(10日から甲子園球場で)に参加するため大阪にやってきた。そして心境を語った。

--いよいよ阪神入りを決めた?

「はい、お騒がせして本当にすまないと思っています。いまは阪神にすべてをお任せしています」

--いい人生経験になったろう

「いや、こんな経験はしたくないですね。ぼくの田舎の方じゃ、プロの難しい契約規則なんて知らないですし、仮契約とか統一契約書といわれても…。父もまずいことをしたと言ってます」

--阪神に決めた理由は

「阪急に比べてチームカラーがはっきりしているところ。同じプロの世界に入るなら、阪神のように人気のあるチームへと思いました。それに、田舎では阪神ファンが多かったし」

10日、米田はタイガースのユニホームに袖を通し、甲子園練習に参加した。背番号は「41」。ところが、翌11日にコミッショナー事務局から「裁定が出るまで練習に参加しないように」とストップがかかったのである。(敬称略)

■勇者の物語(45)

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