
平成28年1月、衝撃的な出来事が起きた。筆者が結成当初から動向を追いかけていた「OSAKA BB WAVE(OBBW)」が解散したのだ。
「関西の顔」の解散
22年10月に結成したときは40人以上の大型グループだった。このときのライブを見て「このグループが出てこなかったら、どこも出てこない」と胸が熱くなったことを覚えている。
最初の約1年半は暗黒時代といってもいいぐらいだった。「ZAZA HOUSE」(大阪市中央区)と「BB Station」(同市西区)で月1回のワンマンライブをしていたが、入場者は1桁続き。メンバーも次々に脱退し、24年4月には20人程度まで減った。
残ったメンバーで再出発を図り、ワンマンライブだけでなく関西のライブハウスなどにも積極的に出演するようになり、27年8月には「愛踊祭(あいどるまつり)」の関西エリア代表にも選ばれ、名実ともに関西の顔にもなった。同年11月にはメルパルクホール(同市淀川区)でワンマンライブも行った。
28年は勝負の年になると読んでいたが、中心メンバーが高校2年生となり、将来のことを見据えて卒業を申し出るメンバーが続出したことから、解散を決断した。
実は、27年秋に所属事務所の社長からグループ解散を考えていることの相談を受けていた。その際、筆者は「解散するのは勝手だが、社運をかけて結成した以上は責任を取る必要がある」と指摘していた。
少子化の影響でレッスン生減少という苦境に立たされるなか、起死回生策として結成されたのがOBBWだった。看板グループが解散した直後の28年2月には事務所自体が営業終了となり、所属していたタレントらは新経営陣のもとへ移籍していった。
特別なコンセプト
OBBWの解散は、取材をするうえでの大きな軸を失ったことを意味していた。次はどこのグループを軸に据えて取材を進めるべきか模索する中、関西のご当地アイドルは雨後のタケノコのように増殖していった。
特別なコンセプトを持ったグループもいくつか現れた。
27年12月に結成された「あさひめ」は、新世界を拠点にする昭和歌謡を歌うグループ。かつて通天閣(大阪市浪速区)の地下にあった「通天閣歌謡劇場」に代わる新しい「なにわの演歌の殿堂」として、近くの「シアター朝日」(同区)がオープン。その看板娘という役割が与えられた。