勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(43)

背広の梶さん 「阪急を立て直せるのは、あなたしかおらん」

調査部長を務めたネクタイ姿の梶本=大阪市北区の阪急球団事務所
調査部長を務めたネクタイ姿の梶本=大阪市北区の阪急球団事務所

■勇者の物語(42)

筆者が初めて梶本隆夫と親交を持ったのは昭和60年12月、阪急ブレーブスの担当記者になったとき。この年を限りに1軍ヘッド兼投手コーチを退任。31年間着続けたユニホームを脱いだ梶本は、トレードや新人補強など、チーム編成を手掛ける球団調査部長に就任した。

〝背広の梶さん〟はいつも優しい笑顔で記者たちに接した。ある日、大阪・梅田の球団事務所を訪ねると、「おお、待ってたんや」とトランプを手に待ち構えていた。当時、記者の間で時間待ちのためのトランプゲームがはやっていた。

通称「ニッパチ」。ページワンを基本にしたゲームで、ルールが複雑に改良された。「2」を出せば全員に2枚ずつ山から取らせることができたり、相手の出したカードの数字が、自分の手札の合計数字と一致すれば「当たり」を宣告できたり。いま、場にどの数字のカードが出て、何が出ていないのか、記憶力と読みが求められた。

「そりゃぁ、野球の戦略にも通じる。教えてくれ」。梶さんに伝授したところ、すっかりハマってしまったのだ。「ワシに勝ったら何でも教えたるで」と豪語するのだが、これが弱いのなんの。しまいには聞くこともなくなってしまった。余談が過ぎた。

ある日、勝ったついでにこんな質問をぶつけた。

--昭和55年のオフ、野球解説者になっていた上田(利治)さんに、当時、監督だった梶さんが電話して復帰を説得した-というのはホンマですか

「ああ、ほんまや。あのときウエさんには、西武や中日から監督の話がきとったしな」

--でも、梶さんにもプライドがあったでしょう

「そんなもん関係ない。阪急をなんとかしたかった。ワシにはできんかった(54年2位、55年5位)しな。やるべき人がやる、それだけや」

55年10月6日、梶本は大阪府豊中市の上田宅へ電話を入れた。上田は中日の堀田球団社長と会うため留守にしていた。夕刻、自宅に戻った上田から電話が掛かってきた。

「ウエさんよ、阪急を立て直せるのは、あなたしかおらん。ユニホームを着る気があるんなら、もう一度、一緒にやろう」

自らコーチへの降格を申し出て、復帰を説得した。これが梶本の〝大きさ〟である。(敬称略)

■勇者の物語(44)