勇者の物語

阪神の思惑 現実的に考え「巨人につく」 虎番疾風録番外編39

セかパか。タイガースの運命を決めた阪神電鉄社長・野田誠三(当時は事業担当役員)
セかパか。タイガースの運命を決めた阪神電鉄社長・野田誠三(当時は事業担当役員)

■勇者の物語(38)

昭和24年11月22日、東京・目黒の雅叙園で行われた代表者会議で、日本野球連盟は「2リーグ制」への移行を決めた。

新加入の「反対派」巨人、中日、大陽が作るセ・リーグと「賛成派」の阪急、阪神、南海、東急、大映5球団によるパ・リーグに分かれる-と思われた。ところが、この席で、阪神の冨樫興一球団代表が「巨人につく」と表明したのである。阪急や南海ら賛成派にしてみれば寝耳に水の〝裏切り〟行為だった。

後にセ・リーグ会長に就任した鈴木龍二もその『回顧録』で「阪神が寝返ったと、裏切り者よばわりされたのは…最初、1リーグ案に賛成であったのに、いざ2つに分かれるとなったとき、セ・リーグ側についたからである」と断言している。

もちろん阪神にも言い分はある。球団史『阪神タイガース昭和のあゆみ』の中で〝2リーグ制に現実的に対処〟と題しこう記している。

「1リーグ10球団制に賛成した阪神ではあるが、10球団制が失敗に終わったあとまで、阪急、南海、大映、東急と行動をともにする約束をしたわけではない。阪神という球団の立場に立って、身の振り方を考えるのは当然である」

たしかに道義的に見れば裏切りかもしれない。けれど、過去の経緯、球団の将来を現実的に考えれば、当然の選択といえる。

これまでの関係からいって、正力から一方のリーグの盟主に推された毎日新聞と阪急の絆は固い。事あるごとに阪急電鉄との激しいライバル争いを演じてきた阪神電鉄にとって、それは好ましい状況ではなかった。さらに好カードの「巨人戦」を失うことが電鉄首脳の気持ちを大きく揺さぶった。

代表者会議の当日、当時、事業担当役員だった野田誠三(26年に電鉄社長に就任)は、本社会議室に事業部長以下、全職員を集めてこう宣言した。

「阪神は巨人と行動をともにする。このため別のリーグからさまざまの妨害があるやもしれない。仮にそのような事態になっても、諸君は動揺せず隠忍自重していただきたい」

明治28年、兵庫県出身。京大工学部を卒業し阪神電鉄へ。入社3年目に甲子園球場の建設を命じられ、設計責任者となる。実家は西宮の造り酒屋「本野田酒造」(養子)。〝ボンボン育ち〟といわれた誠三の一世一代の決断であった。(敬称略)

■勇者の物語(40)

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