勇者の物語

2リーグ分裂 新加入2球団の選定難航 虎番疾風録番外編38

2リーグ分裂が決定した直後の各球団代表。早速、セ(手前)パ(奥・窓際)のグループに分かれてヒソヒソ話
2リーグ分裂が決定した直後の各球団代表。早速、セ(手前)パ(奥・窓際)のグループに分かれてヒソヒソ話

■勇者の物語(37)

1リーグ8球団の計16球団による「2大リーグ制」への移行。正力松太郎の発言は球界に大混乱をもたらした。とはいえ、これはあくまで将来像であり、正力も「けっして事を急いではいけない」と説いていた。

「新球団の地区的分布も慎重に考慮計画すべき。2大リーグ選手としての名を辱めぬ優良な選手を新たに得るためには、一気呵成(いっきかせい)に16球団の完成を図ることは到底不可能である」

だが、事態はそんな正力の思いとは別の方向へと流れていく。毎日新聞だけでなく、加入希望社が続々と名乗りを上げたのである。加盟を申請したのは近畿日本鉄道、西日本鉄道、林兼(大洋漁業)、星野組、広島倶楽部など。このほか当時の新聞に社名が報じられた企業は小田急電鉄、西武鉄道、リッカーミシン、熊谷組など20社以上に及んだ。

日本野球連盟は昭和24年9月29日、東京・内幸町の日本野球クラブで、既存8球団による「顧問会議」を開いた。今でいうオーナー会議である。出席者は巨人・安田庄司、阪神・野田誠三、阪急・小林米三、中日・杉山虎之助、大映・永田雅一、東急・大川博、南海・壺田一郎、大陽・田村駒次郎。議題はもちろん新加入を認めるか否か-である。

結果は「反対」が巨人、中日、大陽の3球団。「賛成」は阪急、阪神、南海、東急、大映の5球団。そこで正力は賛成派を結束し、多数決で突破しようと画策。5球団で次のような〝盟約〟を結んだのである。

『近き将来に於ける2大リーグ完成の構想のもとに、25年春は2球団を加え、更に機を見て2球団を加え12球団とし、これを分かって6チームの2リーグを創設。さらに暫時4球団を加えて8チームの2大リーグを実現せしめんとするものである』

まずは「10球団1リーグ」からという案に5球団の代表者たちは署名捺印した。だが、正力の思惑通りには進まなかった。加入を認める2球団をどこにするかで難航したのである。

「毎日新聞の加盟はプロ野球の振興に資するところ大であり、加入を認めていただきたい」と正力が頭を下げ、実質1球団になったことでさらに選定は難しくなった。なかなか結論を出せない。そして〝運命の日〟を迎えた。

連盟は11月22日、東京・目黒の雅叙園で代表者会議を開き、「2リーグ制」導入を決定。ついにプロ野球は〝分裂〟したのである。(敬称略)

■勇者の物語(39)

会員限定記事会員サービス詳細