勇者の物語

2リーグ制構想 毎日に声かけ 虎番疾風録番外編37

2リーグ制を提案した正力松太郎
2リーグ制を提案した正力松太郎

■勇者の物語(36)

昭和24年、日本はまだ連合国の支配下にあったが、徐々に経済も安定し復興への兆しが見え始めていた。プロ野球人気も高まりを見せ、球団経営にも明るい展望が開けつつあった。そんな中で〝大騒動〟が勃発した。

初代コミッショナー、日本野球連盟の名誉総裁に就任した正力松太郎が4月15日、就任記者会見で「2、3年のうちに球団を増やし、2リーグにしたい」とぶちあげたのである。

正力の頭の中にはプロ野球の〝将来像〟があった。

「経営の上から8球団を以て1個の連盟を作り、更に同格の実力を持つ他の1個の連盟を得て、2大リーグの秩序正しき競争を以て互いに拮抗琢磨(きっこうたくま)して、野球万般の向上と隆昌を図ることを理想とするものである」

寝耳に水の正力発言に球界は揺れに揺れた。

「やっと経済的自立の見込みが立ち始めたのに、球団を増やせば再び経営面で支障をきたす」

「いや、昨今の情勢から新加入もやむを得ない」

球界の意見は真っ二つに分かれた。そんな中、7月に毎日新聞が新加盟の名乗りを上げた。実は毎日へ声をかけたのは正力だった。2つのリーグの一方を巨人、もう一方を毎日で-という構想があったからだ。

毎日のプロ野球加入は自然の流れだった。この連載でも前述(第24話)したとおり大正から昭和にかけて、当時の学生野球のスターたちを集めたセミプロ球団「大毎野球団」を結成。小林一三がバックアップした「宝塚運動協会」と名勝負を展開していた。昭和金融恐慌の影響で解散したものの、いつ、プロ野球団を結成してもおかしくなかった。

ところが、この毎日の加入に同じ新聞社系の球団、巨人と中日が大反対したのである。

「販売政策上、よろしくない」という意見と「隆盛の兆しを見極めてからの参入は卑怯(ひきょう)」という感情的な見方もあった。だが、なぜ、「読売中興の祖」といわれる大正力の提案に巨人が反対したのだろう。

実は当時、正力は公職追放処分を受けて読売新聞社の経営から離れており、本社経営陣は〝反正力派〟になっていたから-ともいわれている。

事態はさらに混迷する。新加入を希望する企業は毎日だけではなかったのである。(敬称略)

■勇者の物語(38)

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