勇者の物語

軍部の圧力 残ったのは6球団 虎番疾風録番外編35

戦時中のタイガース。後列左から金田、藤村、中野。前列左から塚本、本堂
戦時中のタイガース。後列左から金田、藤村、中野。前列左から塚本、本堂

■勇者の物語(34)

昭和12年秋、村上新監督となり、新たなスタートを切った阪急軍だが、前途は明るいものではなかった。

この年の7月7日に起こった盧溝橋事件を皮切りに「日中戦争」が勃発。世の中は戦時色に染まりつつあった。

15年9月27日、日独伊の「三国軍事同盟」が締結。同月、日本野球連盟は各球団にチーム名の英語表記を改めるよう要請した。これによって、大阪タイガースが「阪神軍」、東京セネタースが「翼軍」、イーグルスは「黒鷲軍」と改称した。胸のチーム名も漢字表記となった。

巨人は「巨」、朝日軍は「朝」、名古屋軍は「名」と大きく一字をつけ、大阪タイガースは「阪神」。南海は正方形の升形に斜めに「南海」と入れた。阪急も胸と帽子の「H」を外し、左袖に阪急電鉄の社章を付けた。

余談だが日本名改称には〝悲話〟もあった。国民新聞が母体だった「大東京」は結成当初から経営が苦しく、ずっと支援先を探していた。

「球団名をもっと強そうな名前にしたら企業が支援してくれるかも。大阪にタイガースがあるのなら…」と付けた名前が「ライオン」。すると12年、ライオン歯磨本舗株式会社小林商店とのタイアップが決まった。球団は日本語名への改称要請に「ライオンは日本語である」と主張したが通らず、結局、16年に「朝日軍」に改称。「ライオンが使えないなら」と小林商店からのタイアップも打ち切られた。

16年12月8日、日本は英米に対し宣戦布告。ハワイ真珠湾攻撃が行われ「太平洋戦争」へと突き進んでいった。当然、プロ野球は〝敵性スポーツ〟として軍部からにらまれた。戦闘帽に国防色のユニホーム。野球用語も日本語となりワンストライクが「よし1本」、ワンボールは「だめ1つ」。プレーボールは「試合始め」、アウトは「それまで」、タイムは「停止」といった具合。

これに最後まで抵抗したのが、「翼軍」の創設者・河野安通志だ。河野は「日本語にしたら野球でなくなる。それなら休んだ方がよい」と一時休止を訴えた。さすが、日本に最初のプロ野球チーム「日本運動協会」を設立した男の主張である。

応召選手の増加で次々に球団が解散。19年最後のリーグ戦は阪神軍が優勝。(2)東京巨人(3)阪急軍(4)産業軍(旧名古屋)(5)朝日軍(旧ライオン)(6)近畿日本軍(旧南海)-と最後まで残ったのは6球団であった。(敬称略)

■勇者の物語(36)

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