勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(29)

逃がした魚 「契約金1万円」もたつく間に…

大阪タイガースの若林忠志。巧みな投球術で翻弄した=昭和23年当時
大阪タイガースの若林忠志。巧みな投球術で翻弄した=昭和23年当時

■勇者の物語(28)

宮武の獲得に成功した村上の次の狙いは、同じく慶大出身の山下実。彼もまた慶大黄金期の一角を担い「和製ベーブ・ルース」といわれたスラッガー。卒業後、クラブチーム大連満州倶楽部に所属していた。

その山下が国民新聞が編成しようとしていた職業野球団「大東京倶楽部」の招きで帰国。東京の合宿所に滞在しているという。村上は急いで交渉し、契約を結んだ。入団第2号選手なので背番号は「2」。入団順とはなんとも味気ない付け方である。

他の球団はというと似たり寄ったり。当時は大リーグの付け方に倣って「打順」で付ける球団が多く、例えば「大日本東京野球倶楽部」(巨人)は昭和11年の打順で、1番を打った林清一が「1」。3番の中島治康が「3」。4番打者の永沢富士雄が「4」を付けた。大阪タイガースはなんと「いろは順」。選手をいろはにほへと…の順に並べ、「ふ」の藤村富美男は10番目で「10」となった。

<選手たちは文句を言わんかったんやろか…>と笑ってしまう。

さて、村上が第3の男として狙ったのが若林忠志である。ハワイ移民の〝日系二世〟。ハワイ大を卒業し法大に入学。当時、誰も投げられなかった「チェンジアップ投法」で法大を優勝に導いた好投手。当然、各球団も狙っていた。

若林は合理的な考え方の持ち主で、プロ野球に対しても独自の考え方を持っていた。村上は交渉の中で「彼は球団の経営面でも力を発揮できる」と期待を持った。交渉は進み条件面でも合意に達したとき、若林が提案した。

「給料は半分でもいいから、契約金として1万円もらえないだろうか」

当時はまだ契約金という概念はない。巨人が彼に示した月給が150円といわれており、1万円の一括払いはさすがに村上の独断ではいかなかった。すぐさま大阪の本社に戻り、上層部へ掛け合ったが、なかなか決裁が下りない。もたついている間になんと、阪神が交渉、すべての条件をのんでアッという間に契約を交わしてしまったのである。

「大阪タイガース」に入団した若林はいろは順で4番目。球団から「4は不吉」といわれ、背番号「18」を付けた。〝エース番号18〟は彼からきている。阪急軍は初年度から翻弄された。11年から13年までに1勝4敗。1シーズン制となった14年には8試合で1勝5敗。うち完封負け4回という惨めな成績。〝逃がした魚〟はとてつもなく大きかったのである。(敬称略)

■勇者の物語(30)