私の本棚

元宮内庁長官・羽毛田信吾さん 『逝きし世の面影』 現代を見つめるよすがに

【私の本棚】元宮内庁長官・羽毛田信吾さん 『逝きし世の面影』 現代を見つめるよすがに
【私の本棚】元宮内庁長官・羽毛田信吾さん 『逝きし世の面影』 現代を見つめるよすがに
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 宮内庁長官時代の平成23年冬、知人から紹介されて手にした本です。タイトルの「逝きし世」とは、近代化の歩みによって失われた江戸時代の日本文明のこと。著者は幕末から明治期に来日した外国人が書き残した膨大な記録から、当時の庶民の姿を拾い上げ、江戸時代までの日本社会を浮かび上がらせました。

 例えば、日本に開国を迫った米国のペリーは下田に立ち寄り《人びとは幸福で満足そう》だと感じた、と記しています。明治に入ってからも、水道設計に携わった英国人ヘンリー・S・パーマーが1886(明治19)年の「タイムズ」紙に、伊香保温泉の湯治客について《誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現われていて》《物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋(しゃべ)り続け、笑いこけている》とつづっている。こうした様子を他の外国人も数多く書き残しているのです。

 学校の日本史では、江戸時代の庶民は虐げられていたイメージが強いですが、貧しいながらも、庶民が生活に安らぎを見いだしていた時代があったことを教えてくれます。

 読了して間もないころ、東日本大震災が起きました。上皇ご夫妻に同行した被災地では、深い悲しみの中にありながら、ゆかしさを忘れず、前向きに生きようとする被災者の姿がありました。この本に登場する庶民と重なり、感慨を覚えました。

 そして今、人類は新型コロナウイルスの感染拡大に直面し、地球環境の中で人間が特別な力をもった存在ではないことを思い知らされました。物質的な豊かさを追い求めることに、限界を感じるようにもなっています。前へ前へと進むこととは無縁だった、満足感に包まれていた明治開国前の日本の姿は、現代社会を相対的に見つめ直す、よすがになるのではないでしょうか。(渡辺京二著/平凡社)

【プロフィル】羽毛田信吾(はけた・しんご) 昭和17年、山口県出身。40年、厚生省(現厚生労働省)に入省。厚生事務次官を経て、宮内庁次長、同長官を歴任。現在、昭和館館長、恩賜財団母子愛育会理事長を務めている。

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