勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(13)

注目度ゼロ 「夢持てる球団へ」 福本の言葉に感動

昭和59年8月7日の南海戦で通算1000盗塁を達成し、ガッツポーズする福本=大阪球場
昭和59年8月7日の南海戦で通算1000盗塁を達成し、ガッツポーズする福本=大阪球場

■勇者の物語(12)

おい、この連載のタイトルは『勇者の物語』じゃないのか。ちっとも阪急の選手が出てこないぞ!

やはり、その〝お叱り〟の言葉が出てきたか…。実は筆者が「虎番」から「阪急」へ担当替えとなった昭和60年12月。当時の新聞を繰ってみてもほとんど、阪急の記事が載っていないのである。

11月20日のドラフト会議で阪急は、本田技研の伊東昭光投手(3球団競合)を抽選で外し、外れ1位で日大の投手・石井宏を指名した。だが、入団交渉の記事も載っていないどころか取材にも行かせてもらえない。理由は「注目度が低い」から。

虎番時代、ドラフト指名選手は言うに及ばず、ドラフト外の選手の入団交渉もすべて取材に行った。なのに阪急は…。「1位選手でダメなら、誰も取材するなということですか!」と思わずデスクにかみついた。<この差はなんやねん!>これが当時の筆者の思いだった。

60年シーズン、上田阪急はベテラン山田久志を中心に佐藤義則、今井雄太郎、山沖之彦の先発陣を擁し、前年のリーグ優勝に続く連覇が期待された。だが、頼みの投手陣が崩れ5月までは借金生活。6月13勝2敗で一時は2位にまで浮上したものの後半戦で息切れ。結局、57年以来のBクラス(4位)に転落した。

意気消沈のチームにお寒い契約更改が追い打ちをかけた。頑張った選手もチーム成績が悪いために年俸の上がり幅が抑えられ、主力選手の契約更改は「保留」する選手が続出したのである。

福本豊もその一人。だが、少し様子が違った。12月16日、9%アップの年俸6000万円(推定)を4年ぶりに保留した福本は報道陣に熱く語った。

「評価の低さが保留した理由やない。ことしの成績(打率・287、本塁打11、51打点)からみたらもらい過ぎかもしれん。けどな、ぼくらが少しでも多くもろうてやらんことには、これから先、10年以上もやる松永や弓岡の給料もスムーズに上がらへん。そやから保留させてもろたんや」

福本はさらに続けた。

「毎年、この時期になると、なんで若い子たちは誰も〝阪急に入りたい〟と言うてくれへんのか、考えさせられる。それはボクらレギュラークラスの給料に将来の夢を感じられへんからやと思うんや」

担当になって初めて聞く福本の言葉。<阪急のベテラン選手はこんな話をするんや>と感動したのを覚えている。(敬称略)

■勇者の物語(14)