勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(4)

知将の決断 王手かけられた夜「♪六甲おろし」

西武での居場所がなくなった広岡監督(右)。左は黒江コーチ
西武での居場所がなくなった広岡監督(右)。左は黒江コーチ

■勇者の物語(3)

GMになりたい-という願いをことごとくはねつけられた広岡達朗監督にとって、西武にはもう居場所がなかった。

リーグ優勝が決まった近鉄戦(10月9日、藤井寺)を痛風治療を理由にエスケープしたのも、胴上げなんかしてほしくない! という球団への〝意地〟からという。知将にも<そんな子供っぽいところがあったんや>と笑ってしまう。

「世間では冷たい人のように思われているけれど、本当は心の温かな実に人間っぽい人なんだよ」と佐野慎輔は言う。

後になって分かったことだが、阪神との日本シリーズ、甲子園球場での第5戦に敗れて2勝3敗と〝王手〟をかけられたその夜、広岡監督は黒江幸弘コーチら数人のスタッフを連れて大阪・北新地にでかけた。何軒か知り合いの店を回り、最後の店で阪神の応援歌「六甲おろし」をみんなで歌ったという。広岡にはもう、本拠地の所沢に戻って逆転する-という気持ちはなかったのだ。

広岡、辞任-のニュースには、驚きよりも「やっぱり」という反応の方が多かった。「球宴中や日本シリーズ前に話をしたとき、言葉の端々に〝えっ!〟と思うようなことがあった」とは阪急の上田利治監督の感想。そして阪神の吉田義男監督も「そらビッグニュースですな」と言いながら、こう解説した。

「日本シリーズでウチに負けたことが原因やないと思います。あの人と話をしている中で、ひょっとしたら辞めるのでは…と思う部分がないでもなかった。プロ野球の監督の〝何年契約〟というものほどアテにならんということですわ」

これも後になって分かったことだが、所沢でのシリーズ2試合を終え、大阪へ戻った甲子園球場での練習日、吉田監督は広岡監督から「シリーズが終わったら辞任します」と打ち明けられていた。

「びっくりしましたわ。広岡さんがなんで私にそんな大事なことを話したんかは分かりまへんけど…」

昭和30年代「名遊撃」として鳴らした2人。7年生まれ。早大時代から〝神宮の貴公子〟と言われ、鳴り物入りで巨人に入団した広岡に対し、8年生まれの吉田は立命大中退。阪神入団時は首脳陣からも注目されていない選手だった。そんな2人だからこそ分かり合える何かがあったのだろう。そういえば、甲子園球場の記者席から筆者はその日、ホームベース付近から外野まで話しながらゆっくり歩いている2人を目撃していた。(敬称略)

■勇者の物語(5)