程なく被害者家族会の代表に就いた滋さんを間近に見てきた。街頭署名活動、全国1400カ所への講演行脚、被害者家族の結束を図りながらのメディア対応…。めぐみさんの「死亡」宣告、孫の出現、被害者5人の帰国と続いた激変の中、人前で父親の心情を吐露することの少なかった滋さんがもらした一言が忘れられない。
「なんで助けてくれないの、といつもめぐみに責められているような気がしましてね」
小泉訪朝の2002(平成14)年9月17日、北朝鮮側の説明をうのみにした政府から「死亡」を告げられた滋さんは記者会見の席で言葉を詰まらせた。代わった早紀江さんは「めぐみは濃厚な足跡を残した」と気丈に話したが、滋さんの足跡もまた、濃く、厚かった。
最後の入院直前の一昨年春、ご自宅で久しぶりにお会いした。2時間余、早紀江さんの傍らで一語も発しなかったが、目には力が宿り、すがすがしい笑みさえ見せた。満足いく結果が得られなかった無念さはあるが、親にできることは全てやり尽くした、そんな充足感ゆえではないだろうか。重い荷を負って妻と実直に歩んだ過酷な、そして見事な生涯だった。天国に召された今、改めてそう思う。
めぐみさんに伝えたい。お父さんは、あなたと拉致被害者全員を助けようと身を削り精魂尽くしました。お母さん、弟の拓也さん、哲也さんが遺志を継いでくれますよ。合掌。
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阿部雅美(あべ・まさみ) 1972年、産経新聞社入社。社会部、整理部、文化部、シンガポール特派員などを経て東京、大阪本社社会部長、サンケイスポーツ編集局長、東京本社編集局長、常務取締役、産経デジタル社長を歴任。97年、「北朝鮮による日本人拉致疑惑 17年を隔てた2件のスクープ『アベック連続蒸発』→『横田めぐみさん』」で新聞協会賞を受賞。