100年の森 明治神宮物語

戦火(1)昭和20年4月14日 焼夷弾1330発、現在も爪痕

【100年の森 明治神宮物語】戦火(1)昭和20年4月14日 焼夷弾1330発、現在も爪痕
【100年の森 明治神宮物語】戦火(1)昭和20年4月14日 焼夷弾1330発、現在も爪痕
その他の写真を見る (1/3枚)

 平成28年8月、鎮座100年を前に明治神宮(東京・代々木)の東玉垣で屋根をふき替えていた工事関係者が、屋根の材木に大きな丸い穴が開いているのを見つけた。

 「焼夷(しょうい)弾が落ちて開いた穴だとみられます」。清水建設の社寺・文化財担当、小橋孝吉さん(70)はそう説明し、「これは台湾ヒノキで厚さ7センチぐらいの板ですが、それがこのようにすぽっと穴が開くなんて、ものすごい力です」と語った。翌29年8月には、西玉垣でも焼夷弾の跡が見つかっている。

 焼夷弾が落ちたのは、今から75年前の昭和20年4月14日未明だった。明治神宮は米軍の空襲を受け、約1330発と推計される焼夷弾が降り注いだ。社殿は炎上し、大半が灰燼(かいじん)に帰した。大正9年の鎮座から、ちょうど四半世紀の年だった。

 ◆開戦前日に参拝した2人

 明治神宮の百年誌編纂(へんさん)室次長で権禰宜(ごんねぎ)の植松克巳さん(55)が、昭和16年10月1日に制定された「明治神宮防護計画書」を見せてくれた。

 「非常事変ニ際シ広大ナル宮域ヲ防護スルコトハ蓋(けだ)シ容易ノ業ニアラサルヲ以テ職員ハ平素克(よ)ク…」

 計画書は、空襲に備えた資材の準備から職員の動員、林苑内の井戸の活用など細部にわたっている。米英との開戦にはまだ2カ月の間があるが、戦時の緊張が神宮にも及んでいたことが文面から伝わってくる。制定後、11月23日の新嘗祭(にいなめさい)は初めて大政翼賛会の主催で執り行われた。12月2日からは本殿北東の地下で、御霊代(みたましろ)(御神体)を空襲から守るための、御宝庫の建設が始まっている。