コロナ禍の抑制は、日々の生活で培ってきた国民の衛生感覚や清潔感にも大きく左右されるようだ。14世紀中期の欧州におけるペスト大流行は、その直後のパリで下水道が建設される契機となった。しかしいくら構造を整えても、上下の水源からさほど離れていない所に衛生処理をしない下水をそのまま流しては不潔だろう。水洗トイレといっても未処理の屎尿(しにょう)をたれ流す構造にすぎず、過密都市の不衛生をかえって増進させ、19世紀には欧州でコレラのパンデミックをおこす一因にもなった。
他方、世界ではコロナが日本で蔓延(まんえん)しない理由を日本人の清潔好きに求める人も多い。確かに日本では古くから上水の質が他国より良好であり、下水もうまく処理されていた。農業用肥料の屎尿と、単なる汚水を分ける知恵は古くからあったらしいが、とくに江戸時代に進化した。健康な都市生活維持のために、塵埃(じんあい)と屎尿を適切に処理する知恵は誰にも必要なのだ。これを江戸時代を素材に明らかにしたのは坂誥智美氏の『江戸城下町における「水」支配』(専修大学出版局)である。氏によれば、河岸端・会所地でのゴミ焼却を禁じ、船で「永代浦」まで運ぶように幕府が命じた記録は明暦元(一六五五)年に現れている。火事の多い江戸では、焼土・焼瓦・壁土などのゴミもかなり出た。各種のゴミは人口増に対する土地造成(築地)に役立て、「本所・深川などの底地」の様を大きく変えた。享保年間の町奉行・大岡越前守の時代には、御堀浮芥浚請負人(おほりうきあくたさらいうけおいにん)組合も結成される。芥取賃を徴収するにせよ、新規参入希望者らと競争しながら江戸のゴミを処理する人びとがいたのである。