平安期の歌人、在原業平(なりひら)が主人公とされる歌物語「伊勢物語」をモチーフに、彼の一代記となる小説を紡ぎ上げた。恋愛小説の名手は、希代の色男の生涯をどう描いたのか。
「血筋はいい(天皇の孫)けれど本筋ではなく、トップの権力に近づけば抹殺されることを本能的に知っている。女遊びは止められないが、誠(まこと)は尽くす。ヤバいとなれば身を隠し、何となく許されてしまう…。『軟弱なサブ』として人生を歩みながら歌人として名を成し、最後はメインの人を抜いてしまう。政治家ならダメだけど、日本の文化を花開かせた人」
もちろん、恋愛の場面はたっぷり。後に天皇の后(きさき)になる藤原氏の姫との逃避行、神に仕える伊勢神宮の斎宮(さいぐう)との逢瀬、性愛の手ほどきをしてくれた年上の人妻…。思い込んだら、他人の想(おも)い人であれ、禁忌を犯してさえも、まっしぐら。
「男として自分の衝動に正直というのかな、オスとしては当然の行動ですよね(苦笑)。まぁ、『かわいい男』ですよ。複数の相手との交際が当たり前だった『時代』もありました。現代から見て想像はできてもジャッジすることは難しい」
小説にするに当たって最も苦労したのが文体だという。歌の人業平の物語だから、和歌は絶対に外せない。原文のまま歌を取り込み、どういう状況で歌われたのか、を物語の中で説明したいと考えた。
「そのための文体を何年も考えました。雅(みやび)さを出すための『ですます調』。それがだらだらしないように『体言止め』を使う。もちろん、無責任なフィクションにもしたくない。この時代を知る、よすがになるような物語を書きたかった。面白がって調べ始めてから、結局5年ほどかかりましたか」
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今では「平安」という時代にとりつかれている。
「日本人の精神性の原型をつくった時代。雅さ、奥ゆかしさ。歌のやりとりでコミュニケーションを取る、恋愛感情を通わせるといったクッションを置いた美意識。十二単の衣装みたいに、非合理的だけど雅さを感じるといったこと。死刑が廃止されて、政治犯を殺さないようにしたのもこの時代のすごさです。一方で、陰謀や権謀術数が渦巻き、凶事が起これば怨霊のせいにして怖がってしまう」
今回の作品で平安ものの文体をつかんだことは今後の自信にもつながった。「この時代をよみがえらせるフィクションを人物伝として、もっと描きたい。古典の現代語訳でなく小説として書きたいのです」
ところで、3年前にインタビューしたときには、自身の年代に合わせて、これからは「70代の恋愛小説」を書きたい、という話をしていたはず。昔に比べて、みんなどんどん若くなっているし、いくつになっても恋愛をすべき。あきらめたら後で心身ともに「しっぺ返しをくらう」という話まで…。
「うーん、とにかく今は平安時代かな。『70代の恋愛小説』は(私が)80代になったときに取っておきますよ。作家は、目の前の面白いことに夢中になってしまうものだから」
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【3つのQ】
Q最近読んで面白かった本は?
古典なら平安期の「とりかへばや物語」。あの時代にもこんな漫画チックな物語があったんだと驚き、興味深く読んだ
Q今の若者の恋愛観で違和感を覚えるのは?
人生に占める性愛の意味が小さくなっていること。その分、人生の喜びも苦しみも人間関係も希薄になっている気がする
Q作家以外でなりたかった職業は?
一番あこがれていたのはブリーダー。自分の手で命を生み出すということのステキさ。それは動物・植物相手でも変わりない
(文化部 喜多由浩)
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たかぎ・のぶこ 昭和21年、山口県出身。東京女子大短期大学部卒。55年「その細き道」で作家デビュー、59年「光抱く友よ」で芥川賞、平成7年「水脈」で女流文学賞、11年「透光の樹」で谷崎潤一郎賞、22年「トモスイ」で川端康成文学賞を受賞。21年、紫綬褒章。恋愛小説からミステリー、エッセーなど幅広いジャンルで活躍。