話の肖像画

サッカー元日本代表・J1柏HC、井原正巳(52)(6)未来描けず…幻のブラジル挑戦

横浜マリノスが初めての年間王者となった平成7年のシーズン
横浜マリノスが初めての年間王者となった平成7年のシーズン

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《Jリーグの発足から看板選手として活躍した。平成5年から5年連続でベスト11に選ばれ、7年にはアジア最優秀選手にも輝いた。プロ生活としての歩みは日本サッカー隆盛期と重なる》

自己分析すると、相手のプレーを予測して攻撃の芽を摘んでいくタイプのディフェンダー(DF)でしたね。突出した高さやスピードはないが、全般的にフィジカルが弱いわけではありませんでした。ボールを散らして攻撃の組み立てに参加したり、最前線に正確なロングパスを出したりする技術には自信がありました。

《Jリーグ、国際試合で数々の名ストライカーと勝負を演じてきた。クレバーな守備で「アジアの壁」と称されたが、苦手な選手はいたらしい》

真っ先に思い浮かぶのはパトリック・エムボマ=元カメルーン代表=です。ガンバ大阪時代の9年、25ゴールでJリーグ得点王となった大型フォワード(FW)で、圧倒的なフィジカルに加え、テクニックもありました。個の力が際立って高く、手ひどくやられました。どうにもならなかったといえば、ブラジル代表FW、ロナウド=2002年の日韓ワールドカップ(W杯)優勝に貢献=も強烈でした。爆発的なスピードやゴールに向かう貪欲な姿勢は半端ではありませんでした。

日本人では中山(雅史、J3・沼津、W杯日本代表2度のFW)も嫌でしたよ。筑波大の同級生でプレーは知り尽くしているのですが、一瞬でも気を抜くとやられてしまいます。ゴール前へ怖がらずに飛び込んでくる勇敢なストライカーで、最近の選手でいうと岡崎(慎司、スペイン2部ウエスカ、W杯日本代表3度のFW)のようなタイプの選手でしたね。

《あきらめない粘り強い守備で、初めて代表入りした大学2年生のころ、日本サッカーの父ことデットマール・クラマー氏から「頭もいいし、才能もある。ドイツで鍛えたい」といわれた。しかし海外リーグでプレーすることはなかった。今とは時代が違った》

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