「努力で追いつくのが日本人」 武田薬品、湘南アイパークと光工場のこれから

 ウェバー社長は再び光工場を訪れたさいに目を見張った。「デジタル技術導入が進み、プレゼンテーションはすべて英語で行われている。立派なグローバル拠点の一つに進化した。日本人、日本の企業の優れているところは努力して必ず追い付いてくるところです」

急激な変化に苦戦する社員

 創業200年以上の老舗企業が急激な国際化を遂げるためには、経営方針だけでなく社員一人一人の変化も必要だった。

 「活躍できない。仕事すら与えてもらえない。劣等感がありましたね」

 一昨年まで3年間、米・ボストンで治験(臨床試験)にかかわる業務を担当していたニューロサイエンス創薬ユニット主席部員の水上温司さんは言う。

 赴任した当初、それまで経験のないがん領域を担当して苦労した。会議で発言しなければ白い目で見られ、発言すれば方向性が異なるといわれ、会議に呼ばれなくなる。働きながらその仕事について教わる日本式とは違い、ボストンでは高い専門性を持った社員が競い合いながら仕事をしていて、手伝おうとしても「仕事を奪うつもりか」と警戒された。

 「自分が何のためにその仕事をするのか。何ができるのか。はっきりと伝えられなければ仕事すらないことを知らされました」

 その後、中枢神経系疾患の領域に移ると「日本の中枢神経系疾患研究に、ここでの経験を持ち帰る」と働く理由を明確にして、日本との橋渡し役として仕事ができるようになった。「会社がグローバル化を進めて変化したこの10年、15年というのは、社員一人一人も大きく変わらなければならなかった」と振り返る。

 「あなたたちは、まだ日本の会社なのか」

 初の外国人社長として武田を率いるウェバー社長は国内外の記者会見で何度もこう辛辣(しんらつ)に質問されてきた。武田は今、経営は東京に、研究は米ボストン、製造はスイスにと各部門のトップを世界各地に配置。経営陣も社長を筆頭に、大多数が外国籍だからだ。

 「私たちはグローバルな日本企業の再定義を行ってきた」と答える。歩んできた道は、確かに日本に拠点を置きながら海外事業を進めるほかの日本企業とは異なった手法かもしれない。