話の肖像画

サッカー元日本代表・J1柏HC・井原正巳(52)(5)Jリーグ発足 プロの自覚

横浜マリノスのディフェンダーとしてJリーグ開幕戦に先発出場(中央)
横浜マリノスのディフェンダーとしてJリーグ開幕戦に先発出場(中央)

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《平成5年5月15日、Jリーグが開幕した。日本サッカーはプロ化し、所属チームは日産から「横浜マリノス」へと変貌した。開幕試合「マリノス対ヴェルディ川崎」が行われた旧国立競技場は5万9626人もの観衆で膨れ上がった。日産に入って4年目。わずかの観客だった日本サッカーリーグ時代から、環境は激変した》

その前年の8月、日本代表は中国で開かれたダイナスティカップ(東アジア4チームによる国際大会)で優勝、さらに10月から自国開催されたアジア・カップでも優勝しました。代表チームの活躍はその競技を活性化します。いい流れでJリーグ開幕を迎えることができました。

Jリーグは10クラブでスタートしたのですが開幕日はこの1試合のみでした。歴史に残るこの試合に先発出場できる22人に入りたくて開幕まで必死にアピールしましたね。開幕戦は想像以上の雰囲気で、あんなに幸せな思いをしたことはありませんでした。

《開幕試合は1点を追うマリノスが元アルゼンチン代表ラモン・ディアスのゴールなどで逆転し、三浦知良やラモス瑠偉、武田修宏らスター選手を擁するヴェルディの追撃を2-1で振り切って勝利した。翌日には元ブラジル代表ジーコを擁する鹿島が名古屋に5-0で圧勝するなど、他クラブもスタートを切った。サッカー新時代を迎えて盛り上がるなか、自身の感激は徐々に重圧となっていったという》

今振り返ってみると、「プロ選手とは何であるか」をはっきりと分からないまま、Jリーグ開幕を迎えてしまったような気がしています。日本サッカー界が想像を超えるフィーバーとなり、私自身も舞い上がってしまった部分がありました。「日本にサッカー文化が根付いていく千載一遇のチャンス」と自覚しながら、「この盛り上がりを維持していかなければ」という使命感にも駆られました。そして「プロ選手としてこのチャンスを生かすには何をすべきか」と自分に問いかけるようになっていったのです。

その答えは海外のプロリーグを経験した指導者や選手たちの姿勢から教わりました。彼らは「入場料を払って見に来てくれるお客さんがいるから、給料をもらってサッカーができる」「最高のプレーで喜んでもらうため、自己管理して全力で練習に取り組まなければいけない」といった、当たり前のことを徹底して行っていたのです。それからは「常に見られている」ということを意識し、一人の人間としてしっかりと行動をするように心掛けるようになりました。

《Jリーグ開幕の年、ファーストステージを制したのはダークホースの鹿島で、40歳になるジーコの激しいプレーと勝利への意識を植え付けるリーダーシップも影響した。Jリーグ創設期に世界を知る選手、指導者が日本のチームに所属し、サッカー文化を伝えた意義は大きい》

あの時期、日本のプロスポーツといえば野球だけでした。それがJリーグの発足で、ワールドカップ(W杯)など巨大な大会につながる世界のサッカー文化やトッププロが一気に身近になりました。少年時代、1978年W杯アルゼンチン大会にテレビで感動していたことが、現実に近づいたのです。この変革は日本の少年たちに大きな夢を与えたと思います。(聞き手 奥山次郎)

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