AYA世代の日々 がんとともに生きる

(12)働く患者の存在、知ってほしい 金沢雄太さん

金沢雄太さん(寺河内美奈撮影)
金沢雄太さん(寺河内美奈撮影)

15~39歳頃までの思春期と若年成人(Adolescent and YoungAdult)を指すAYA世代。この世代のがん患者には進学、就職、結婚など中高年とは違った課題が存在する。32歳で虫垂がんと診断された会社員の金沢雄太さん(37)。2回の転移を経験しながらも仕事を継続できたのは、周囲の理解と柔軟な対応だったという。

虫垂がんと診断されたのは、平成26年11月でした。8月ごろからおなかがジクジク痛むことがあり、11月になって立ち上がれないほどになった。日曜だったので翌日からの仕事に支障が出ないように、自宅近くの大学病院の救急外来を受診しました。薬をもらって帰るつもりだったのに、医師からは「盲腸が炎症を起こしている」。即日入院になりました。

重度の腸閉塞(ちょうへいそく)も併発していたのですが、その治療を考えているときに、虫垂がんが判明しました。がんという言葉が持つ重みにショックも受けましたし、人生が暗い穴の底に落ちていくような気分になりました。

上司にすぐに電話で報告すると、「まずはちゃんと治せ。そして戻ってこい。席は空けておくから」と言ってくれました。友人の父親ががんになり、退職せざるを得なくなったケースを聞いていたので、上司の言葉に安心できました。

復職へ話し合い

虫垂がんの手術後は腸閉塞の治療を続け、翌年の1月下旬に退院しました。入院生活で体重は17キロほど減りました。1月に次女が生まれたばかりだったので、自宅療養中は子供の世話をしながら、徐々に体力を戻していきました。

3月に復職したとき、上司から働き方の希望を聞かれました。今の体力や、フルタイムでの勤務は難しいことなどを伝え、当面はコアタイムである午前11時から午後4時に働くことになりました。立場も変わりました。診断前は課長級で部下もいたのですが、「人の面倒を見る余裕はないな」と考えて、一般社員として働くことを選びました。

上司からの提案でありがたかったのが、仕事の目標設定です。ほかの人と同じレべルにしました。「できなかったら下げたらいい。チャレンジしよう」と言ってくれたんです。そのころは、生きて社会復帰できた喜びが大きく、復職がゴールのように感じていました。でも、次の目標を設定できたことで、病人として戻るのではなく、健康な人と同じ状態のパフォーマンスを目指すということを意識できたんです。

《28年は肝臓に、29年には肝門部に転移が見つかった。手術と抗がん剤治療を経て復職した》

抗がん剤治療では副作用のつらい時期は休み、体調が良くなったら働きました。会社と接点を持ちながらの治療は楽じゃなかったけれど、働くことのモチベーションを保てました。

柔軟な対応を

30年の5月に復職して、今は経過観察中です。診断後も働き続けられたのは、会社に治療と両立するための制度や風土、文化がそろっていたからです。ワーキングマザーが多いので、急に早退したり休んだりすることに理解もありました。通院したり、体調が悪いときに出社を遅らせたりできる、フレキシビリティーは大切です。

ただ、周囲のがん患者と話すと、柔軟に対応してくれる会社はまだ少ないようです。でも、就労世代でがんになると、子供のためにも働き続けないといけない人が多い。私自身も2人の娘がいて、妻も働いていますが、共働きでライフプランを組んでいます。

がんに罹患(りかん)する人は、非就労世代が約7割を占めるため、医療者も含めて「働きながら治療できる」という選択肢はまだ知られていません。

今は、がんだけでなく介護を抱えた方などいろんな事情の人がいます。ルールを作るというよりも、お互いのことを知って、柔軟性のある環境をつくらなくてはいけないと考えています。(油原聡子)

【プロフィル】金沢雄太

かなざわ・ゆうた 昭和57年生まれ。京都府出身。大学卒業後、人材派遣会社、ITベンチャーを経て、転職支援会社、ジェイエイシーリクルートメントに入社。26年に虫垂がんと診断される。その後、肝臓、肝門部に転移。手術と抗がん剤治療を行い、現在は経過観察中。

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