文芸時評

5月号 「コロナ世代」への責任 早稲田大学教授・石原千秋

文部科学省の姿が見えない。これほど教育が混乱し、大きなダメージを受けつつあるのにだ。教育学部で教える身としては、感染症の素人であっても、教育のことは書いておく。

感染症がやがて人類と折り合いを付け、弱毒化して流行の周期も長くなり、やがて消えるかありふれた病気になるらしいと、訳知り顔に言う人もいる。そんな評論家気取りは知的だとは思わない。そのくらいのことは山本太郎の名著『感染症と文明-共生への道』(岩波新書)を読んでおけばわかることだ。100年後ならそういう目で見るゆとりもあるだろうが、いまはそのために人類がどれほどの犠牲を払う必要があるのかという問題に目を向けること、いや誰もがそのための犠牲にはなりたくないという切実さを理解すること、そして感染症を食い止めるために努力することの方がはるかに知的だと思う。

そもそもこの感染症の性質がまだよくわかっていない。感染すれば抗体はできるらしいが、それが免疫として機能するのか、機能するとしてどのくらいの期間どのくらいの強度で機能するのか、それさえわかっていない。当たれば儲(もう)かるから巨大製薬会社から大学の医学部からベンチャー企業まで開発に乗り出し、かなり有効な治療薬はおそらく今年中にできるにちがいない。仮にリスクが多少あっても治療薬なら使えるだろう。しかし、ワクチンとなると健康な人間に接種するのだから、リスクは限りなくゼロでなければならない。臨床試験にはどうしても時間がかかる。それが普及するまでにはさらに時間がかかる。専門家ほど慎重で、終息まで2年はかかるのではないかという。

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