作家、山本周五郎は昭和初期、浦安で暮らした。その体験を基に名作「青べか物語」を書いた。
作品に船宿「千本」が登場する。モデルとなったのが船宿「吉野屋」(同市猫実)だ。「千本」とは吉野(奈良県)の千本桜にちなんだものとみられる。
吉野眞太朗さんは吉野屋5代目だ。「山本先生はうちの2階に半年ほど下宿していたんですよ」と笑顔で語る。
戦後、山本周五郎は浦安を訪れた。吉野屋で長太郎さん(4代目)と再会する。その昔、「長」と呼ばれた愛すべき少年は成長して日焼けした男となり、船宿を仕切っていた。
「山本先生がお見えになったとき、私は小学生でした。着物姿の先生を覚えています」
吉野さんは少年時代から、釣り船に乗り、父親の長太郎さんに仕込まれた。18歳の頃には一人前になっていたという。昭和40年代はハゼ釣りが人気だった。予約の電話がひっきりなしにかかってきた。釣り船に鍋を持ち込み、新鮮なハゼを天ぷらにしてアツアツを食べる。
「潮風に吹かれながら、船上で食べると、おいしい。おにぎりも味が違う」
だが、東京湾は一時期、公害で汚染された。その後、環境対策が進み、豊かな海が復活した。
「東京湾はありがたい海です。魚種が多い。お客さんが魚を釣って喜び、また、やって来る。海と、魚がいればこの仕事は続く。生きていける」
吉野さんは工夫をこらす。高級魚、フグに着目し、漁場を探した。自ら処理の免許を取り、身やしらこを全て洗って釣り客に手渡している。
「フグ釣りは難しいが、人気がある。お客さんの中には『俺はフグしかやらない』という人もいる」