日本人の心 楠木正成を読み解く

第5章 戦後75年(6)「非理法権天(ひりほうけんてん)」の意味を探して

楠木正成を祭る湊川神社に置かれている「非理法権天」の旗=神戸市中央区(沢野貴信撮影)
楠木正成を祭る湊川神社に置かれている「非理法権天」の旗=神戸市中央区(沢野貴信撮影)

 □戦後75年 記者たちの目に映った「楠公さん」(6)

 ■「非理法権天(ひりほうけんてん)」の意味を探して

 山口県周南市の瀬戸内海に浮かぶ大津島(おおづしま)に、令和元年11月、大津島回天神社が建立された。祭神は楠木正成(くすのき・まさしげ)。大津島には、先の大戦で展開された特攻兵器「人間魚雷 回天」の訓練基地があり、今も「回天の島」と呼ばれる。

 回天基地が開設された昭和19年9月、兵舎の一角に正成を祭神とする小さな木製の祠(ほこら)が安置され、搭乗員は祠に手を合わせて出撃していったという。新たに建立された神社の社殿には、この木製の祠が収められている。

 なぜ、正成なのか?

 筆者は二十数年前、この特攻兵器が生まれた背景を調べようと、元搭乗員や遺族のインタビューを重ねた。その過程で、負けると分かっていても、最後まで天皇に忠義を尽くすという楠公精神が、時代を超えて特攻隊員の心の支えになっていたことに気づかされた。

 「回天」を考案した黒木博司大尉=当時(22)、没後少佐=は最も影響を受けた一人だった。少佐は昭和19年9月、大津島での訓練中に殉職するが、手紙や日記からは、楠公精神をよりどころに、いちるの望みを託す命がけの選択が浮かび上がってくる。

 大戦の勃発を予感した少佐は、妹に「(日露戦争で)広瀬中佐が第二回閉塞隊出動に際し遺書せられた七生報国(ななおほうこく)笑在船上という気持ちがそのまま兄さんの気持ちだ」と手紙を書き、特殊潜航艇の搭乗員の道を選ぶと、交流が深かった皇国史観の主唱者、平泉澄(きよし)氏に「これまで経験したことのない国難に対処するため、日本人にとって最高の忠臣の鑑(かがみ)とされる楠木正成には及ばないまでも、…死にがいのある働き場所を求める」と決意を伝えている。

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