【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】新型コロナとシェークスピア - 産経ニュース

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モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

新型コロナとシェークスピア

シェークスピアの等身大フィギュア=シェイクスピア・カントリー・パーク(千葉県南房総市)
シェークスピアの等身大フィギュア=シェイクスピア・カントリー・パーク(千葉県南房総市)
せめて機嫌よく街を歩きたい

 新型コロナウイルスの感染拡大で、他の事象がすべてかすんでみえる。

 鬱々とした日々だからこそ、何か一つでも楽しみや喜びを見つけたいと過ごしている。そしてささやかな発見があった。

 わが国に美人が増えたのだ。地下鉄に乗って周囲を見渡せば、およそ8割の人がマスクを着用している。鼻と口と顎を覆った女性の大半が私の目には美人に映るのだ。慣用句をもじれば、「目は口よりものを言う」である。

 そもそも美人の基準とは何だろう。たどり着くのはミケランジェロの彫刻だ。ひとつに絞るとすればバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタ、イエスの亡骸(なきがら)を抱いてその死を悲しむ聖母マリアの顔だろう。

 欧米の美人の基準はここにある。彼らとはまったく異なる頭蓋骨をもったわれら日本人も、欧米の美術作品や映画などを通じて美人の基準を欧米寄りにどんどんシフトさせていった。私の美人の基準も本をただせば、間違いなくミケランジェロのピエタなのだ。

 日本人の頭蓋骨、特に鼻と口元のラインは、ミケランジェロの聖母マリアとはかけ離れている。日本人は日本人なりの美人の基準を持てばいいのだが、欧米文化の浸透力はあまりにも強く、平安絵巻や浮世絵を見ても、描かれた女性に魅力を感じることはまずない。

 そんなことをつらつら考えているうちに合点がいった。聖母マリアとかけ離れたラインをマスクで覆っているから、私の目には大半の女性が美人に映るのだ。これが私のささやかな発見である。

 美人にはつい目が向いてしまう。さりげなく視線を漂わせて眺めるのだが、たまに目が合ってしまうことがある。相手の目の様子から想像できる心の声は「何見てんだよ、このエロおやじ」である。瞬時に私は、ミケランジェロの彫刻とはあまりにもかけ離れた初老の自分の顔とふやけた肉体を意識して深く恥じ入る。まさに「目は口よりものを言う」である。

 脚本家の山田太一さんは「数秒の笑顔」というエッセーにこんなことを書いている。米国のシカゴで女性用トイレに入ろうとして、間違いに気づいた山田さんが踵(きびす)を返したとき、後ろにいた20歳前後の女性がとてもおかしそうに吹き出すように笑ったという。

 《その笑顔が、とてもよかった》と山田さんは書き、《街を歩くのに、機嫌よく歩こうと不機嫌に歩こうと無論自由だが、どちらかといえば機嫌よく歩いた方がいいのではないか、と思ってしまうところが、私にはある。その笑顔体験のせいだと思う》と続ける。

 そのうえでフランスの哲学者アランの『人生論集』の一節を紹介する。

 《なにかのはめで道徳論を書かざるをえないことになれば、わたしは義務の第一位に上きげんをもってくるに違いない》

 勝手な物言いだと承知のうえで書く。地下鉄で目の合った女性が、目でほほえみ返してくれたら、おそらくその日をとても幸福な気分で過ごすことができるだろう。もちろん私自身が機嫌のよい顔をしていることが大前提である。こんな時期だからこそ、意識して機嫌よく街を歩き、機嫌よく電車に乗りたい。

ペスト対策とロミオの勘違い

 冷たい雨が降り、真冬のように冷え込んだ先週の日曜日、鬱々とした気分を少しでも晴らそうと、南房総に針路をとって車を走らせた。まずは鴨川市役所の裏に広がる菜の花の名所「菜な畑ロード」。強い風に持っていかれそうな傘をしっかりと握り、黄色に染まった大地に分け入った。深呼吸して、菜の花特有のもったりとした香りを吸い込んだ。すると、管理小屋から女性が出てきて「こんな悪天候の日にありがとうございます。これはほんの気持ちです」と言って、菜の花を手渡してくれた。心が温かくなった。

 その後、海沿いの道を南下して南房総市の道の駅ローズマリー公園に立ち寄った。はなまる市場という物販所で買い物をし、裏にある「シェイクスピア・カントリー・パーク」を見学した。シェークスピアの生誕地である英国ストラトフォード・アポン・エイボンの街並みを再現した施設だ。テーマパークそのものは9年前に幕を下ろしたものの、重厚な建物の2階ではシェークスピアの戯曲の一場面を再現した石膏(せっこう)像や、ロンドンの劇場グローブ座のミニチュア、シェークスピアの等身大フィギュアなどが展示され、無料で見学することができる。「日本シェイクスピア協会」の会長を務めていた故高橋康也東大教授が監修しただけのことはあり、展示の質は一級品だ。

 シェークスピアのフィギュアと対面し、時節柄『ロミオとジュリエット』の筋を思い出してしまった。

 舞台は14世紀のイタリア・ベローナ。仇敵(きゅうてき)関係にある名家の息子ロミオと娘ジュリエットが恋に落ちる。父から意に沿わぬ結婚を命じられたジュリエットは、修道士ロレンスに助けを求める。ロレンスは、結婚式前に仮死状態になる薬を飲み、自殺したと思わせて霊廟(れいびょう)に安置してもらい、目覚めたころに迎えに来るはずのロミオと駆け落ちするという策をジュリエットに授ける。ロミオにはロレンスの使者が計画を記した手紙を届けることとなる。

 計画は途中までうまく進む。ところが、霊廟に駆けつけたロミオは、ジュリエットが本当に死んだものと思い、携えていた毒を飲んで息絶える。その直後に目を覚ましたジュリエットは、息のないロミオを見て短剣で自害する。

 ロミオの元には「ジュリエット死す」の報は届いていたが、ロレンスが使者に託した手紙は届いていなかった。なぜ届かなかったのか。流行していたペストの検疫に引っ掛かり、使者は足止めを食らったのだ。この作品の初演は1595年ごろというから、92年から94年にかけてロンドンを襲ったペストが、シェークスピアにアイデアをもたらしたのだろう。

 いま、世界各国で新型コロナウイルス対策が講じられているが、対策そのものがさまざまな悲劇を引き起こす。先はまったく見えない。こんな状況で私ができるのは、自分が感染源とならぬよう用心し、不機嫌さを周囲にまき散らさずに暮らすこと、それに尽きる。

 ※アランの引用は中村雄二郎訳『人生論集』(白水社)による。

(文化部 桑原聡)=隔週掲載