雑音が苦手だ。いや、酒を飲み過ぎるなとか、塩分の多い料理を控えろといった類いの耳に痛い雑音をいうのではない。
冷蔵庫のコンプレッサーやエアコンのうなりが不快なのだ。ファンレスPCを探し続けて、あてどないPC放浪を続けたこともあった。
さお竹屋はもちろん、クルマのタイヤが道路ギャップを拾う音、シフトアップするバイクの加速音など、仕事を邪魔する雑音は窓の外にもあふれている。
常日頃、書斎の雑音はできる限り排除したいと願っている。
一年ほど前に市内で転居した。蔵書量が増え過ぎたためだが、新居を選ぶ上での第一の条件は静かな執筆環境だった。
前の部屋は居酒屋の前で酔っ払いがけんかしていたり、消防署から出動する救急車のサイレンが響いたりしてかなり騒々しかった。
海岸に近い現在の書斎は、さわさわと庭で鳴る松籟(しょうらい)がいちばん大きく聞こえるほど静かだ。
雷鳴などはともあれ、尋常な状態の自然が奏でる音は少しも仕事の妨げにならないようだ。
デビュー前の文学賞投稿者時代に、ボーナスをはたいて一週間ほど十和田の温泉宿に滞在して原稿を書いたことがある。
窓の下には急流が岩をはみ、激しい瀬音が轟(とどろ)いている部屋だったが、著しく筆が進んだ。
眼下に波が砕け散る道北のロッジでの執筆も快適だった。
音楽と仕事との関係はもっとずっと複雑だと感じている。
アイデアを練るときは、照明を落とした部屋でヒーリング系の音楽などを静かに流す。
執筆に入るときには、音楽を絶つ。この段階ではどんなに静かな音楽も邪魔でしかない。
いくらか執筆が進み始めると、ミドルテンポのピアノトリオやゆったりとした明るい室内楽などが仕事の効率を上げる。
筆が乗ってくると、フラメンコやビッグバンド、オペラなどを盛大なボリュームで掛ける。
大脳前頭葉のブローカ野は「言語のアウトプット」を、側頭葉のウェルニッケ野は「言語のインプット」を担っている。