話の肖像画

作家・北方謙三(72)(2)結核で「文学のエリート」

小学生の頃、妹と
小学生の頃、妹と

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<佐賀県唐津市に生まれた。父親は外国航路の船長。幼少のころは、父親が横浜に帰港するたびに、家族で佐賀から寝台列車に揺られて父親に会いに行っていた。このころ父親と足を運んだ横浜の書店で出合った絵本の思い出が、物語作りの原風景として心に刻まれている>

おやじは船に乗っていて、1年のうち10カ月くらいは家にいなかった。だから横浜港に入ってくると、家族一緒に横浜で過ごすわけです。おやじは本屋に行くときには私を連れていくんですよ。私を児童書売り場に置いて、おやじは別の売り場で自分の本を探す。自分が探し終わったらまた戻ってきて、「どれにするか決まったか?」って。当時は3歳くらいで、まだ字が読めなかったから買ってもらうのは絵本でした。「ジャングル・ブック」だったかな、家の本棚にずらっと並んでいましたよ。

小学校に入ってからね、その絵本を棚から取り出して読んでみると何か印象が違うんです。これは私の記憶ではないんだけれど、まだ字が読めなかったころに私はその絵本の絵だけを見て、自分で話を作ってはそれを何回も何回も周囲の人に聞かせていたそうです。みんなその話をじっと聞いていたというんです。絵本を久しぶりに読んで「何か違う」と感じたのは、絵を見て作った物語の記憶が、どこかに少し残っていたからなのかもしれない。

<小学校5年のときに、川崎市内に移り住み、都内にある芝中学・高校へ進学。ところが大学受験を控えた高校3年生のとき、肺結核と診断された。「死」を強烈に意識したことが創作に向かう大きなきっかけとなる>

レントゲン写真を見るとね、右の鎖骨の下のところにぽっかりと空洞があるんですよ。直径3・5センチの空洞です。それで健康診断書には「就学不可」と書かれたんです。死を意識したし、何よりも理不尽だと思った。「なんで俺が?」と投げやりにもなりましたね。これまでちゃんと勉強していたし、先生にもそんなに逆らったわけじゃない。親の言うことだって聞いてきて、大学にも入れるはずだったのに、試験を受けちゃいけない、っていうわけだから。

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